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カテゴリ:読書
「闇をつかむ男」(トマス・H・クック)を読みました。
悪い癖なのはわかってるんだけど、やっぱり読み出すと何も手に付きません。 冒頭はしばらく、犯罪ノンフィクション作家である主人公が接してきた、犯罪者たちとのやり取りや、彼らの言葉や語り口や態度といったものを通して見てきた世界、それらから学んだり習得したこと、といったものの、細かい描写が続きます。 これらは直接、主要な部分とは関係ありませんが、主人公が謎を解こうとするときの考える道筋が、うまく説明される部分となっています。 犯罪者との接触の描写をこのように具体的に書けるのは、作者本人がこういう世界を知っているからこそだろうと思いながら読んでいましたが、実際、訳者のあとがきで、犯罪ノンフィクションの著作があると知り、やはりそうなのだなと思うとともに、この作品は作者自身の関心の対象が色濃く出ている作品なのだと思いました。 「大量死の時代にあっても、ミステリーは不法に奪われた人ひとりの生命がなおも人間の世界で重要な意味を持つと主張する、ロマンティックな個人主義の最後の砦になっている。その世界では、ひとりの生命をどうやって、誰が奪ったかを発見できなければ、いまだにわれわれがロマンティックな恐怖と考えているもののすべてが白日のもとにさらけだされることになる。」 これは亡くなった、主人公の友人が、デスクのよく見えるところに貼っていたメモに書かれていた言葉ということで、節目に繰り返し引用されています。作者自身の思いを反映した言葉と捉えることができると思います。 意味のある死と、無意味な虫けらのごとき死に、違いはあるのか。 また、なぜ私たちは、こういったミステリー、謎に引き込まれるのか。なぜ、謎を解こうとするのか。 知らない方がいい、ということは、あるのか。。 など、いろいろなことが浮かびました。 タイトルの原題は全く違います。 原題では、主人公が謎を解こうとする、40年以上前の殺人事件の、証拠品がタイトルになっているのに対し、邦題は主人公の行動を表したものになっています。 亡くなった友人が追っていた、過去の事件の真相を調べるうち、自分自身の出自を知るようになるという、二つの物語の重なり合いを、うまく表していると思います。 その主人公の、特異な性質が話の中にチラチラ出てはくるものの、特に重要とも思わず読み進めましたが、最後まで読み、なるほどなあ、と思わされました。 現在は科学的に明らかにされていることも、昔は多くが謎で不気味な存在として捉えられていて、私はオカルトや神秘的な世界には興味を持ちませんが、そういうものも、昔はたんなる空想ではなく、また現実世界とくっきり二分されるものではなくて、リアルな現実とともに、共存していたのだということを改めて思いました。 昔の事件をたどって、いろんな人に会いに行くと、歳月を経て、人はさまざまな変わり様をしています。 別人のように変わり果てている人もいれば、過去の事件を記憶の彼方に葬り去っている人、昨日の事のようにすぐに詳しく話し出す人、角を隠して穏やかな老人として生きている人。。 そういう描き方が、おもしろいと思いました。 中でも、新聞記者だった老人が、いつか事件の真相を知ろうとする人間が現れて、自分が調べて積み上げてきた資料を、渡す日が来ると信じて生きてきたと話す場面は、非常に印象深かったです。 …タウンゼンドはまるで成就された予言を告げるような不思議な響きを持つ低い声で言った。「いつか誰かがやってくると思っていたよ」… 人は今過ごしている時間の積み重ねが、やがてどのような意味を持つのかを、はっきり知ることができなくて、無駄なことや間違ったことをしたりして、グネグネ遠回りして人生を歩んでいきますが、そういう過程や、もがきながら生きる人々の心情といったものに、この人は関心を持っているように感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.06.13 13:04:15
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