|
カテゴリ:読書
昨日は夏風邪でダルダルだったので、一昨日病院に持っていった「眠れぬイヴのために」(ジェフリー・ディーヴァー)を一日中読んでました。
この作品はリンカーン・ライムのシリーズが生まれる以前の、94年に書かれたもの。 洗練されてはいませんが、作者の面白いものを書いてやろうと懸命な様子がうかがえます。 まだ携帯電話が普及しておらず、今で言う統合失調症は精神分裂病とされています。 研究や診療に非常に熱心な精神科医が出て来るところから、この作者の短編を集めた「クリスマス・プレゼント」(Twisted)にあった「サービス料として」(For Services Rendered)を思い出しました。 今回登場するリチャード・コーラー医師は、精神分裂病で病棟から抜け出した主人公マイケル・ルーベックを、悪い心を持たない純真な人間と信じていますが、それが読者には半ば過ぎまで、現実をよく分かっていない甘い考えのように思われます。 それが最後まで読むと、なるほどとなります。後味のいい作品です。 それから帚木蓬生の「閉鎖病棟」も思い出しました。 ずいぶん昔に読んだので詳しいことは忘れてしまいましたが、あの話の中では、精神病院に入院している人たちの思考を、比較的スジの通っているものとして描かれていました。 閉鎖病棟に閉じ込めておくことが当然とされた時代が続き、そのような方法に疑問を投げかけ広く一般に問題提起した小説で、読み手としてはフツーに自由に生きている私たちと考えていることは同じじゃないかという思いを持ち感情移入していくのですが、やはり何かおかしいぞという思いもさせられ、フツーであろうと努力しても限界があるという現実を思い知らされる、というものだったように思います。 この作品では、精神分裂病の主人公の思考の、脈絡がなかったり唐突に飛躍したり散漫だったり固執しすぎたりするところが、より現実に即してリアルに表現されています。 「こちら側」から見ると年齢よりかなり低い知能しかないように見えたり、恐ろしげに見えたり、邪悪な心を持っているように見えても、実際はそうではないということが、分かりやすく描かれています。 たとえば、マイケルは病棟内でほかの患者の洗濯物をどんどん盗んでは主治医のところに持ってくるようになり、医師は首をひねるのですが、やがてそれはクロース・トゥ・ユーという親愛の気持ちを表現していると気づくのです。 この作者の持ち味である、読者に罠をかけたり思い込みを利用して後で驚かせる意外性のある展開は、この作品でも随所で見られます。 話の展開そのものだけでなく、誰について述べられているのかをわざと曖昧にしたり、いい人が悪い人になったり逆に悪い人がいい人になったりするなど、どんでん返しやひねりにバリエーションがあります。 当然結末も意外なものですが、そうと分かると、ずいぶん前からおかしいなと思ってたことがあったんだよな~と、納得させられました。 病棟から逃走した主人公を追いかける人が何人かいるのですが、そうしなければならない必然性に乏しい、と不思議に思う人のことがずっと気になっていたのです。 一気に読み切ったところで、土砂降りの夕立。 一夜明けて今朝は、昨日の朝までよりずいぶん涼しく、セミの大合唱は鳴りをひそめて、久しぶりに鳥たちが朝の挨拶をしているのが聞こえました。 でも、ピーピー、アチチチチ、と言っているようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.28 09:38:47
コメント(0) | コメントを書く |