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カテゴリ:読書
「12番目のカード」(ジェフリー・ディーヴァー)を読みました。
途中まで、「これまでのこのシリーズを読み出した時のようには、入り込めないな、ちょっと飽きてきたな、マンネリ化してるな…」と思いながら読んでいました。 この作者お得意のどんでん返しも、「無理にやらなくていいのに、こじつけっぽいな」と思わされるところがいくつかあったり、こういう書き方をする時は読者にこう思わせようとしているんだよな、と作者の心理が読めてしまったりして、このシリーズを読み出した頃より、醒めた気持ちで読むようになってしまいました。 そのくせ途中でやめられず、一気に読みきり、最後には面白かったと満足していました。またしても、やられたという感じです。 ミステリ小説としての本スジは、どんでん返しの乱発でハチャメチャですが、物語の色どりの枝葉の部分に、読む者の心を捉えるところが多いのです。 まず一つには、リンカーン・ライムの長い闘いの中での心の動きを描いている部分。 リンカーン・ライムはさまざまな機器を使ってリハビリに励み、それにより脊髄損傷患者によく起こる深刻な症状に陥る危険性を減らすことが出来ています。 が、本人にしてみれば、こうやって努力して体力が増し体調がよくなれば、やがて自由に手を動かしてやりたいことが出来るようになるのではないか、という期待を抱かずにいられない。 でも、そのような期待があるからこそ、失望させられるのが恐ろしくて検査を受けることが出来ない。 医療技術が発達して治療が可能になった時のために、エクササイズを続けると医者には言いつつも、期待を持つのはやめて諦め、エクササイズもやめようと思ったりしている。 その時の医者の、いきなり大きな勝利・完全な回復を目指すのではなく、小さな勝利を積み重ねるのが大切だという言葉が、心に残りました。 また、ベテラン警部のセリットーに心理面での危機が訪れ、もがいた末に乗り越える様子が描かれています。 これはちょっとクサいなとも思いますが、すべてに自信が持てなくなったり、覚悟を決めて困難を乗り越えた後に自信を回復したり…。人生はドラマですな、と思いました。 そして今回は、ハーレムの黒人少女が主人公で、140年前の先祖が黒人の権利が認められなかった時代に背負った困難について、真相を知ろうとします。 私は毎日CNNラジオを聴いてて、あっちの人って何でこんなに人種のことでいつもまでも感情的になるんだろうと呆れるのですが、この小説を読んで改めて、アメリカって若い国なんだな、まだこういう闘いがずっと続いているんだなと思いました。 たとえば、つい2か月ほど前には、あんなにやかましく言い合っていた、グラウンド・ゼロの近くに建てるとか建てないとかいうモスクの話題は、なんだったのか。 中間選挙の選挙運動の、あのけたたましさを多くの人が支持するというのは、ニッポン人には理解できない。。 その根底にある、マグマのような感情は、そうカンタンに変わるものではないのだな、と思いました。 あと、法律のムツカシイことはよく分かりませんが、憲法の中での基本的人権の位置づけが、向こうと日本では違うようで、それも面白いと思いました。 実際に、何代も前にさかのぼって、不法行為による財産権の侵害に対する損害賠償を求めることが出来るのか、そうなったら歴史的に侵略を重ねて今があるのだから、大変なことだな~…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.11.09 14:42:19
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