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カテゴリ:読書
「チーム・バチスタの栄光」(海堂尊)を読みました。
これは、映画になった?ドラマ?とにかくよくそこらで見聞きしていました。 古本屋で、文庫本の上巻下巻それぞれ100円だったので、いいかも~と買いました。 全部で200円だったから許す。というのが読後感でした。 が、何でこんなに薄っぺらいのに、上下に分けるのかな。ハードカバーでは1冊なのに。 まず主人公の田口の性格が悪いです。ひねくれています。 別に主人公がいい人である必要はないんですが、性格が悪くても読んでいて腹が立たない人物像というのもあると思います。 たとえば、いつも読んでいるジェフリー・ディーヴァーのシリーズでは、主人公のリンカーン・ライムは、ひねくれ者である上にイラチで無愛想でサービス精神のかけらもなく、とても好人物とはいえませんが、そのような性格になるには理由があり、そこのところもきちんと描かれているので、ひねくれ者だからこそ愛すべき人だという印象を持ちます。 少し前に読んだ、ジョン・ダニングの小説の主人公も、私は好きになれませんでしたが、それはアメリカ人の平均像なんだろうなと思いました。 私が好んで読んでいるアメリカの小説の主人公の多くは、現実より少し理想に傾いているというか、真ん中より微妙に左に傾いているというか、そんなカンジがします。 また、町田康の小説では主人公はいつも徹底的にダメな人ですが、そういうさまを描いている作者の考え方に、読んでいて共感できるものがあります。主人公は作者を投影していて、それを自虐的に描く姿勢に厳しさを感じるからです。 この小説の主人公も、ある程度作者と似ているのではないかと思います。 主人公の語りで話が進行するのですが、会話文のひとつひとつに、いちいち主人公の解説のひと言があって、それが主人公の人間性を描いているというより作者自身の言葉のようで、この小説全体を覆っているものの考え方に、私は共感できずイライラしました。 なぜ、同じように性格のよくない人を主人公を描いて、読む側に与える印象がこんなにも違うのかというと、それは主人公と作者との距離感に違いがあるからではないかと思います。どういう人物として描いているかを、作者が客観的に把握しているかどうかが、ポイントのような気がしました。 でも、この作者と同じような考え方ならイライラすることもなく共感できるのだと思いますが。 作者自身が、ひねくれてオタクっぽいような、イメージを持ってしまいました。 中心となるミステリのスジ自体は、まあ単純ですがそれほど悪くもないと思いましたが、もっとその本スジを中心にしっかり書いて欲しいです。 犯人の心理とか、もっとこの犯罪について深く書かれてあると、ズシンと手ごたえがあったのではないかと思います。 あと、どうでもいいことですが、神経内科や心療内科と、精神科とは、どう違うんだろうなと疑問に思いました。 この本では、神経内科の中の、不定愁訴を聞く外来を、愚痴外来と呼んで、患者が長い時間話したいだけ話すのをじっと聞く場所としています。 それに対して、精神科は器質的な問題をメインに扱う、というようなことが書かれていました。 そうなんか。私は逆だと思っていたけど。 消化器とか循環器に腫瘍などなく見た目は問題がなくても、胃腸の調子が悪いとか心臓がドキドキするというような症状の中に、神経学的に問題があってそうなっている場合があるから、そういうのを対象にしている診療科が、神経内科だと思っていました。 ま、どうでもいいけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.11.27 17:41:11
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