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カテゴリ:読書
「パーフェクト・ゲーム」(ハーラン・コーベン)を読みました。
マイロン・ボライター・シリーズ第6作目。 このシリーズは古本で見つけるごとに読むようにしているので、順番がめちゃくちゃになっていて、話がこんがらがっているのですが、確かこの前の作品にはまだめぐり合えず読んでいなかったと思います。 そのため、何でこんな状況になっているのか不思議に思うような設定から始まっています。 なんかよく分からないぞと思いながら読み始めたせいもあるかもしれませんが、どうも今回は話の盛り上がりがイマイチ。…イマニぐらいかも。 超法的な取引で物事をうまく収めようとすると、関係のない人物に被害を与えたり、後で結局ツケが回ってくることになる、というようなことが描かれています。 このシリーズでは、マイロンの相棒のウィンが暴力で物事を解決することがよくあり、それをマイロンは自重してくれと言いながらピンチになるとウィンの力に頼ったりしています。 作者にとってウィンは都合のいい存在だと思うのですが、ありがたい存在である反面、安易な展開になりがちであることに罪悪感もあって、今回こんな話にしたのではないか。なんていう気がしました。 このシリーズの魅力は、なんといってもマイロンの軽口。 危機に瀕した時ほどアタマが回って面白いことを次々言います。 日常のふとした時に、ああ~今この瞬間にマイロンみたいに軽口が次々に出てきたらな~と思うことがあります。 なかなか実際には、悪い状況にあるときに面白い冗談を次々に思い浮かべるのは難しいですが、常にそういうこころの持ちようでありたいなあと思います。 それともう一つ、このシリーズでいつも楽しみにしているのは、ポピュラー・ミュージックの話題がよく出てくることです。 本当は音楽よりも、テレビの人気シリーズや映画の話題の方が多いのですが、そっちはちょっと私には分からなくて。 前に読んだものでは確か、スティーリー・ダンが話題に出てきて、マイロンが、ああ!なんでどのグループも解散してしまうんだろうというようなことをコメントしていました。今聴くと本当にそんな風に思うことってあると思います。 今回の話では、精神的なことをどうのこうの言う、いかがわしい「誘導療法師」の、セミナーで聴衆に熱っぽく語りかける台詞が…。 「すべてがきみ自身だ。すべてを自分自身の問題にして欲しい。すべての決定が自分の問題だ。きみが見るすべてが、触れるすべてが、きみ自身の反映だ。いやそれどころか、きみがすべてだ(ユー・アー・エブリシング)。そして、すべてがきみだ(アンド・エブリシング・イズ・ユー)」と、スタイリスティックスの有名な歌詞の(ダイアナ・ロスとマーヴィン・ゲイの方が有名か)パクリになっているっちゅう。。 さらに、この誘導療法師の説教が、いかにひどくてむかつくかというウィンの説明に、「マライヤ・キャリーとマイケル・ボルトンのデュエットを想像してくれ」と言ったり。。 少し前の時代の文化の話がよく出てくるように、マイロンは若いけど少し前の時代を懐かしんで生きているようなところがあります。 両親の老いを感じてさびしく思ったり。 そういう、等身大の感じが、読ませるのかなと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.12.22 14:31:22
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