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カテゴリ:読書
「夏草の記憶」(トマス・H・クック)を読みました。
これまでに読んだクックの作品と同様、今回も主人公が過去の出来事を語るという形式になっています。 さらに、南部の田舎町の白人社会が舞台になっているところも、主人公が思いを寄せる女の子の人物像も、今回は医者ですが、主人公が先生と呼ばれ社会的に地位のある職業に就いているところも、他の作品と共通します。 同じような世界が描かれているのに、読んでいて退屈することがありません。 都会の刺激的な生活が描かれているわけでもなく、銃や刃物が出てきて人がどんどん殺されるわけでもなく。 毎回狭い田舎の地味な世界の話ですが、でも、これでいいのかもしれないと思うようになってきました。 田舎の狭い世界であっても、そこで起こる出来事や人々が考えたり感じたりすることは、ほかの場所でのそれらと変わらないのだと。 登場する人物像や心の動きの細かな描写を読んでいると、全く異なる世界に住んでいても、自分自身がこれまでに経験したことや感じてきたことと重なります。 そういった普遍性が、舞台を同じような世界にすることで、より強く感じられます。 ちょうどこの小説の中にも、「どんな町も、この世界の縮図」というセリフが出てきますが、この言葉は登場人物に語らせた作者自身の言葉のように感じました。 今回の舞台は、1962年のアラバマ・チョクトー。 そもそも同じような風景が毎回描かれるのは、作者自身がアラバマ出身だから。 アラバマといえば、先日大きな災害があったところですが、そのタスカルーサという地名も何度か登場します。 白人社会の中にどっぷり浸かり、実際には周囲に黒人が暮らしていることも、その人たちと自分たちの暮らしぶりの違いにも気づかない。 また、その土地に住んでいた先住民の歴史もよく知らない。 でも一人ひとりに自覚する悪意があるわけではなく、互いに自分たちを善良な人間だと評価している。 …という当時のアメリカ人の感覚が、描かれているのがとても興味深かったです。 これこそが本当のアメリカなのだなと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.05 18:02:51
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