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カテゴリ:読書
「自閉症だったわたしへ」(ドナ・ウィリアムズ)を読みました。
この本が出版された時に新聞の広告欄でよく見かけて、読んでみたいと思っていたので、古本屋で見かけて買ったのですが、重い内容を読むのに気後れがして手をつけずに放置していました。 内容はやはり、人間の精神面の根幹に関わるもので、一文一文噛みしめるように読むことになり重いものでしたが、著者が常に困難に対して前向きに取り組む姿勢に、素直に感動しました。 また、生きているうちに読むべき本に出合えた、という気がしました。 自閉症という言葉はわりとよく見聞きするように思うのですが、実際に自閉症の人は割合としてかなり少ないようです。 私も実際に出会った人の中では、もしかしたらあの子はそうではないかな、という男の子がひとり思い当たる程度です。 この本を読むまでは、言葉のイメージから、引っ込み思案だったり引きこもりの傾向がある人というようなイメージを持っていましたが、そういうものとは全く違うのだということを知りました。 また、なんとなく、感情というものがあまり理解できないのだと思っていましたが、豊かな感情があることを知り、この本に書かれている著者の中の豊かな世界に驚きました。 思っていることを周りの人に言いたい、疑問に思っていることを聞いてみたいと強く願っているのに、自分の内側の世界と周りに人たちの世界との壁をポンと越えて自己を表現することが、どうしてもできなくてもがき苦しむ。 その苦しみようは、自分の肉体の殻を破ろうと自分を傷つけるなど、凄まじく、表面上は無表情だったり何も感じていないかのようでも、こんなにも外に向かう激しい感情があるものなのかと、驚かされました。 自閉症でない者にとっては、意識することすらない何でもないことに、とてつもなく巨大な壁が立ち塞がっているわけですが、だからこそ、自分とは何かということや、自己と他者との関わりや、コミュニケーションやプライバシーなどについて、深く考え抜いています。 このことは、知能や精神や感情がいわゆる正常である多くの人よりも、自閉症の人が劣っているということにはならない、ということの証明であるように思えます。 このドナという女性はとても向上心が強く、物事を理解するプロセスが人と大きく異なるのにもかかわらず、一度は学業から離れても後で復学し、奨学金を得て大学を卒業します。 知識を得て自分について語る言葉を手に入れるということによって、自分の性質を客観的に見ることが出来るようになり、外に向けてこうやって文章に表せるようになる、という過程を読んでいると、人間の成長・発達の可能性は素晴らしいと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.11 17:55:08
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