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カテゴリ:読書
「心の砕ける音」(トマス・H・クック)を読みました。
今回は、メイン州が舞台。冒頭の、キラキラ光り輝く川で少年たちが遊ぶところを読みながら、スティーブン・キングのスタンド・バイ・ミーのイメージが浮かびました。 この作品でもクックのいつもの設定や展開が使われていて、読みながら、この部分はあの作品のあの部分に出てくるな、と思うことがたびたびでした。 それは、主人公の人物設定や舞台となる町の雰囲気だけではなく、 たとえば、少年少女の内面の一途さや危うさや、そういった時期の家族関係。 また、大切に思っている家族でありながら、全幅の信頼がおけなくなり揺れる心情があり、しかしその後にそのような不安や疑いが晴れる、という展開。 ある時期には将来順風満帆と見えた人が、その後転落の人生をたどり、別人のように老いていく様子、など。 クックの作品は、それぞれ独立した作品ではあるけども、連続した作品群、であるような気がしてきます。 また、このような共通する部分は作者自身の経験から生み出されているように思われるので、創作なのだけども、ある意味私小説的にも感じられて、クックはこういう人なのかな、と想像しながら読んでいます。 この作品では、理性的というか保守的な兄と、直感的というか情感的というかロマンチストの弟が、対照的な存在として描かれています。 人生の中でどちらの道を行くか選択しなければならないときに、やりたいことや好きなことを重視して感情的に生きるべきなのか、それとも常に行動の結果や影響を冷静に判断し用心深く生きるべきなのか。 その判断によって、人生が大きく変わるかもしれないわけですが、こう生きるべきという考え方の違いは、生来もって生まれた気質や性分といった部分と、それまでの経験によるのかもしれないと、読んでいて思わされました。 その人生の経験の中で、苦しみの経験というものが取り上げられていて、そういった経験のない者にとっては、それがミステリアスでロマンチックに感じられる、というのは、残酷だけども確かにそうかもしれないなと思いました。 つらいことや苦しいことは、経験しないで済むなら経験せずに済むのがいいに決まっている、と私は思います。 貴重な経験をしたとかいい勉強になったとか、逆になんとかをもらった、なんていう言い方は、しらじらしい。 それでも、そんな経験したくなかったというような苦しみを味わってしまった人だけが得られる境地や、幸せがあるのかもしれないと、この作品を読んで最後に希望を感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.05.21 23:23:30
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