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カテゴリ:読書
「悪童日記」のタイトルを目にした時、これこれっ!と思ったのはなんでか、依然思い出せませんが、もしかしたら作者の訃報記事を見たのかも。7月に亡くなったばかりでした。
でも記事の内容が全く記憶にないなあ。やばいなあ。 悪童日記は3部作の一つだと知り、続きを読んでみたくなりました。 で、2作目の「ふたりの証拠」(アゴタ・クリストフ)を読みました。 前作では主人公の双子に名前はありませんでしたが、今回は名前がついています。 また、小説の形態も、彼らが書いた文章という形にはなっておらず、双子のうち国境を渡らず引き返した方の「リュカ」を中心に描かれていますが、周辺の人物の人生についても書かれており、リュカにも三人称が使われている、という点が、前作とは異なっています。 が、独特の文体は相変わらず。 前作で双子たちは自分たちが書く文章に、客観的な事実だけを書くという決まり事を作っていました。 たとえば「悲しかった」という感情は客観的な事実ではないから書いてはならず、「涙が出た」と書くことは構わない、という具合。 そのため、色がついていないというか、余分な部分をザクザクと切り刻んだような文章。 悲惨な出来事や残酷な仕打ちなどが、驚いたとかがっかりしたといった感情に関わる言葉をまるっきり使わずに描かれているので、登場人物の気持ちがよく分からないのですが、そういった感情は行動としてしっかり描かれています。 今回の話の中では、登場人物たちがショックを受け心が傷ついたり、不眠症になったり、アルコール依存症になったりと、心的ダメージを受けている様子が何度も繰り返し出てきます。 戦争が終わってもなお訪れない平穏。 さらには、いつの時代にも誰の人生にも共通する、戻れない過去。 そういうものが描かれているように思いました。 最後の方では、双子のもう一方の片割れ・クラウスが戻ってきますが、その頃にはリュカがいなくなっています。 二人は見分けがつかないほど瓜二つ。クラウスは国境の向こうの国からやってきたのだというが、じつはリュカなのではないか? リュカがクラウスのために長年書き溜めてきたという手帳は、じつはクラウスが一気に書いたものなのではないか? そもそも、リュカとクラウスの二人が果たして存在していたのか? それぞれの身分証明書なんていうものがあっても、そんな証書によって人の存在が証明できるのか? その人が確かに存在するという証拠とは、いったい何か? というような謎が次々に浮かんでくるところで、話は終わってしまいます。 余分なものが削ぎ落とされた文章なので、いかようにも解釈できるようにも思え、それだけに、シンプルなのだけど難解な文章のようにも思えます。 この作者自身が戦争の混乱期に育った人なので、ことさら戦争や国家について書こうとしているのではなく、自分自身の経験を基にして、少年期や青年期の揺らぎなどどの世界にも共通するものを描いているのかもしれません。 私自身は、体調を崩してから何年ものあいだ、何事においても「もしこうなっていなかったら」と考えるクセが抜けなかったことを思い出しました。 自分自身の人生は一つしかないのに、今ここにいる自分だけが実際の自分なのに、時間は元に戻らないのに。 でもなにか、本来の自分ではない状態に、一時的に落ち込んでしまっているという気持ちから、なかなか抜け切ることができませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.27 15:36:20
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