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カテゴリ:読書
「太陽がいっぱい」(パトリシア・ハイスミス)を読みました。
タイトルや著者名は知っていましたが、アラン・ドロン主演の映画もマット・デイモン主演の方も観たこともなく、内容の予備知識は全くない状態で読んだので、途中で殺人事件が起こる展開にとても驚きました。 ミステリー小説では犯人を追う側からの視点で描かれますが、その逆バージョンなのかと。 確かに話のスジはミステリーで、それもとても凝ったものなのですが、中心に据えられているのはむしろ心理描写だと感じました。 主人公の特異な性質が際立っています。この主人公リプリーの内面が、多くの人を引きつけるのだと思いました。 ではそのリプリーの性質とはどんなものか。ざっと挙げてみると。 ・数学的才能がある。 ・同席したくない人などと会っていてしばらくすると、うんざりし苦痛になる。精神的な苦痛や疲労が続くと、身体的に具合が悪くなる。 ・演技が得意で、他人になりきることが出来る。 ・物に対する執着心がとても強い。 ・取れたボタンなど昔の思い出が詰まったガラクタを集めて長年持ち続けている。 ・芸術的素養がある。 ・頭がいい。 ・器用である。 読み始めてかなり早い時点で、自閉症的な内面が描かれているように感じました。 社交的に振舞うことは出来るから、その性質はある程度穏やかで、アスペルガー的なのかも。 しかし、自閉症的とかアスペルガーといった言葉では説明のつかない部分もあります。 シロウトなので言葉の使い方が適切でないかもしれませんが、ある意味サイコパス的というか、病的な犯罪者の気質を持っているように思えます。 何よりそれを感じるのは、友人を殺しておきながら、全く罪悪感を抱かないところです。 その友人の持ち物を自分のものとして身に付けたり持ち歩いたりし、さらに身のこなしや言葉遣いや表情なども真似て友人になりきって、他人として旅行したり贅沢することによって、自分として振舞うよりも心底楽しく感じている様子が描かれているところは、とても奇異に感じるし、ゾッとするような恐ろしさを感じます。 また、本心では全くそのように思っていないにもかかわらず、亡くなった(実際のところは殺した)友人と出会った時の光景や、一緒に旅行したときの思い出などを懐かしく思い出して、悲しい気持ちがこみ上げてくる自分を想像することによって、おいおい泣き出す様子などを読むと、こういう人とどんなに長く親しく付き合ってもその内面のすべてを知りえることはないのだろうと思い、すごい世界を描くなあと唸りました。 1955年の作品だということですが、この精神世界は半世紀以上も前に書かれたとは思えない、とても現代的というか今日的なもので、新鮮でした。 それは、この主人公の内面が、ある程度作者自身のものであるからかもしれないと思いました。 そうでなければ、こういう主人公の内面の世界を、こうも当たり前のように自然に書くことは出来ないのではないかという気がします。 でもある程度、そういった性質を客観視できるからこそこのような小説が書けるのだろうし、また、言い訳がましい事を書かず、気後れせず堂々とこういうものを書いたことは、すごいなあと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.08.30 14:07:27
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