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カテゴリ:読書
昨日読んだ地域のミニコミ誌に、「~を余技なくされ」とあり、あきれていたら。
今回読んだ本では、間違いを3箇所も発見してしまいました。 まず、「これがミスタ・テラーから屈いた電報です」。くぐいた? 次、「衣装はジーンにシャツ、ゴム底の靴である」ジーンは主人公の名前。 さらに、「今度二度と種馬が盗まれたり…ことがなくなる」。もちろん、今後。 76年に発行され、94年で13刷とあるので、たくさんの人が目を通しているはずなのに。どないなっとんね~ん。 「血統」(ディック・フランシス)を読みました。 競馬シリーズの7作目です。ちょっとこれは駄作かな。 競馬の世界において血統というのは、一番大きなテーマといってもいいくらいなもので、そういうものを扱って結果がこういう作品になったというのは、ちょっと残念。 まあ、今と違って、検査で調べるといっても血液型が精一杯という時代の話だから、色あせて見えるということもあるのだけど、その点を差し引いてもどうもうまくない。 本スジの方についてはあまり書かないことにして。 今回あまり入り込めなかったのには、主人公の設定がどうも好きになれなかったということもあります。 不眠症で、自殺願望が強く、「ゆううつ病」にとりつかれている、イギリスの諜報機関に勤める職員。 落ち込みが激しくなったのは、結婚するつもりだった人と別れてから。 結末では何とか生きていこうと思うようになるのですが、そのきっかけが、自分の仕事を手伝ってくれていた保険会社の社員が自分のために目の前で亡くなってしまったから。 彼のために自分は生きねばと思うようになって、上司の娘とも恋人になる。。 ん~。。私のこのまとめ方が悪いのだろうか。 こんな殺し方はないんじゃないかと思ってしまいました。人の死で生きる気になるって、なんとも陳腐。 「ゆううつ病」はれっきとした病気に違いない、と考えるところが書かれていることから、この小説が書かれた70年代というのは、こういう風潮が生まれてきた頃だったんだろうと思います。今なら、わざわざこんなことは書かないので。というか、そこに疑問を感じても言葉にすることが憚れる風潮のように感じるので。 私には70年代の空気というのはよく分かりませんが、この主人公の病的に沈んだ感じは、この時代の風潮を反映したもののように感じました。 舞台をイギリスからアメリカに移してみたことといい、シリーズを重ねるにつれ、何か新しいものを取り入れねばと、いろいろ試していたのではないかと。 別に、主人公が常に、スカッと爽やかコカコーラである必要も、男は黙って…(何だったっけ)と強靭な精神力で完璧に何でもこなす必要もないし、むしろこの作家の主人公は完璧になりすぎ面白味に欠けるきらいがあるとすら思うのですが、「ゆううつ病」の人物の内面の世界があまりうまく描かれていないので、はあ?と興ざめしてしまいました。 まあ、私にうつ的な世界を納得させるのは、簡単ではないのかもしれないけど。 うつ的な思考や自殺願望の描写に比べると、不眠症の部分は私にも分かると感じることができました。 夜になって電気を消して目を閉じても、全然眠気はやってこないどころか神経がキリキリと高ぶってくる感じは、私にもよくあります。そういう時、寝しなに発作が連続して起こるわけですが。 起きているときのオンの状態から、睡眠時のオフの状態へと神経が静まるのは、たいてい意識していないけど、なかなかバランスが取れないと難しいことのように思います。 だいたい私の場合、自分では全然覚えていないですが、赤ちゃんのときから寝ない子で、ベビーベッドの真上の天井に取り付けたグルグル回るオルゴールのタイマーを最大時間にして、それが止まったからとそっと母が様子を見に行くと、いつも目をバチッと開けていた、という子だったらしいです。 幼稚園のお昼寝の時間でも眠ったことはなく、周りが静まる中を息をつめて寝てるふりをしたり天井を見たり、横の道を行商の車がスピーカーで口上を流しながら通るのを聞いたりしていたことを、今も覚えています。 アトピーがマックスにひどかった時は、夜にパズルを解いたりラジオを聴いたり、いろいろしました。 でも、寝なくてもそのことで死にゃしないし。生きてるってことはどこかで帳尻を合わせて寝てるわけで。 寝なければという義務感を捨てれば、いいのだと思う。 確か、これより後の作品で、精神的な問題について、今はほかの身体的な病気と同じように対処できる問題なのだから病院に行くべきだ、というようなことを主人公が言っていたように思います。 それを読んだときは、なかなかどっこい、そう簡単に解決はせんのだ、と思ったものでした。 この、70年代にゆううつなのも病気なんだと考えたり、のちに専門家に助けを求めれば薬やほかの療法などで解決できるのだと考えたりするところは、よくいえばインテリ、悪く言えば頭でっかち、ってとこがあるなあと思いました。 結局、この作者自身は、ある程度は内面で苦しんだりもして、その時代時代に言われる精神世界の問題について興味を持ち、ときには同情したり共感したりもするけど、わが身の問題としたことはなく、やはりどちらかというとシッド・ハレー的な面がある人なのではないかと、希望も含めて、勝手に思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.10.13 13:11:25
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