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のんびり幸兵衛夢日記

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2011.10.28
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カテゴリ:読書
「贋作」(パトリシア・ハイスミス)を読みました。
太陽がいっぱいに続く、トム・リプリー・シリーズの2作目です。

貧しい境遇に育ったリプリーは、前作で人を殺し遺書を偽造して遺産を手に入れました。
さらに今作では、裕福な実業家の娘と結婚し、家政婦もいる裕福な暮らしを手に入れています。
そして語学を勉強したり庭いじりをしたりの生活。
ところが、ちょっとしたアイディアを出した縁から、自殺した画家の贋作を売る一味に手を貸すことになり…。

またもや、都合が悪くなり追い詰められると、解決手段として人を殺します。前作では、殺人が起こると予想して読んでいなかったので驚きましたが、今回は、来るぞ来るぞとわくわくしながら読みました。
この作者の小説の面白さを説明するのは難しいのですが、私はかなりツボにはまっています。好きな人と、何が面白いのか分からないという人に分かれるような気がします。

先日、第何回目かの江戸川乱歩賞受賞作だと表紙に書かれた文庫本を買ってきて読んでいた母に、面白いのかと尋ねたら、「犯行の必然性がまったく感じられず、こじつけばっかりで、なんでそうなるのっ、ちっとも面白くないってカンジ」だと言っていました。
それを聞いて私は、必然性のある犯行ってあるのかなあ、仕方がないというような事情がない犯行を描いても、十分面白いという小説もあるんじゃないかなあと思いました。
その直後にこの小説を読んだので、これこれ、全然必然性がない殺人が描かれているのに、引き込まれるように読めてしまう面白さだというものが、あるんだよね~とうれしい気持ちになりました。

翻訳者はあとがきで、「たとえ登場人物の性格が客観的にはどんなに奇異であり、その行動が奇矯なものであろうとも、一旦ハイスミスの世界に引きずり込まれたら最後、すべてが『信じられる』ものとなる」という言い方をしています。
前にも書いたように、ハイスミスの作品の主人公は明らかに正常から逸脱しているのですが、読んでいる自分とは感じ方や考え方が違うのにもかかわらず、主人公の感じ方や考え方に距離を感じることなく、入り込んで読んでしまいます。
それは、主人公の人物設定がしっかりしていて、細かいところまで丁寧に描かれているからだと思いますが、このような世界が描けるのはやはり、作者自身がこういう世界をある程度理解できるからではないかと思いました。

たとえば、前作で最初に殺してしまったディックという人物も絵を描く若者であり、今回も天才画家ダーワットや、その贋作を描くバーナード、そして主人公のトム自身も趣味として日常的に絵を描いています。
また、トムは音楽に対しても強い執着があり、気分によって聴きたい曲を、わざわざ人にレコードを買いに走らせたりしています。
そして、同じように上手く描く画家は世の中にたくさんいるのに、なぜダーワットは認められ、ほかの人はそうではないのかという問いに、贋作者バーナードはその違いは個性だと答え、絶対的なオリジナリティというものの価値について語る箇所が出てきます。

こういう感性の部分、良い悪いではなく好き嫌いの部分が、直接ストーリーに関係ないところにちょいちょい出てくるのですが、こういうところが結局作者自身の内面世界を表現しているとともに、主人公トムの世界を細かく描くこととなり、読み手としても理屈ではなく感情移入して物語に入り込んで読むことになり、必然性のない、ありえない殺人が起こっても、唐突な感じがせず、面白いと感じることができるのではないかと思いました。

それにしても、今回は殺人自体はあっけなすぎるほど簡単にやり遂げてしまうのに、その後の死体の後始末に、ものすごい労力をかけている様子が描かれていて、かなりぞっとします。
さっきまで自殺するつもりなのではないかと心配していたのに、その相手が死んでしまうと今度は焼いて骨を砕いて…。
宗教観が欠落している私でも、これは、何かが欠けている気がして怖かったです。





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最終更新日  2011.10.28 14:10:02
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