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カテゴリ:読書
「幸福な食卓」(瀬尾まいこ)を読みました。
作者は中学校の先生だそうで、それぐらいの年代の子が読むのにちょうどよさそうな平易さで、ページをめくるのが間に合わないぐらいですが、なかなかよかったです。 「今日から父さんをやめる」と宣言する父。家を出て一人暮らしを始める母。真剣にならぬよう力を抜いて死んだように生きる兄。梅雨時になると具合が悪くなる私。 父が自殺未遂を起こしてから、それぞれちょっとずつおかしい家族の様子が描かれています。 このあやうい家族ぶりが、現代っぽくて読ませます。 父は仕事もやめて大学に行くと言い受験生になるし、母はアパートでの一人暮らしを満喫しパートを3つ掛け持ちし、兄は頭がいいのに大学に行かずに農業をすると宣言し晴耕雨読の日々。 そして私は、5年前の梅雨時に父が風呂場で血の海の中に倒れているのを見てから、梅雨の気配を感じると頭痛がし、まるで食欲がなくなる。 こんなおかしなことになるきっかけとなった父の自殺が、どういうことでおこったのかには触れられておらず、ただ「少しずついろんなことに狂いが出て、もう元に戻せない状況に陥ってきた」という遺書の文言が出てくるだけ。 こんな異常な状況になったのはなぜなのかがぼんやりしているのは、おかしい気もしますが、でも現実はそんなものなのではないかという気もします。 むしろ、なにか大きな出来事が起きるまでは、平和で幸せな家族だった、という方が現実味がないかも。 ある出来事が家族の中で起こったときに、家族一人ひとりがどんな反応をするか、どう対処するかは、人によってさまざま。平時のというか元来のその人の性分によりけり。 同じような出来事が起こっても、家族がどう反応しどう対処するかによって、困難が簡単に乗り越えられることもあれば、何倍も苦しむことにもなると思います。 だからこの家族は、何か大変な出来事があったから父親が自殺未遂を起こし家族のバランスが崩れていったのではなくて、何もなくてもこうなる要素があったということなのだろうと思います。 そういう意味で、この家族の父親と母親は大人として人格の形成が貧弱で、そのしわ寄せが子供に来ているといえるのでは。 うまくやろうとしてるんだけど、何かだんだんギクシャクしてきて、もうどうしていいか分からん!と思っても、そこを踏ん張って堪えるのがあるべき姿。 だいたい、独り身のおばちゃんをパートに使ってくれるところなんてそうそうないし、大きくなったこどもが食事を作り家事をやってくれるから受験生になるなどと言えるんであって、この大人たちは恵まれた境遇に甘えていることに気づきもしないでナイーブで傷つきやすく優しい人である自分にうっとりしている、ように私には思えてしまいます。 現実逃避したくなる気持ちになることは誰にでもあるし、この両親の行動も分からんでもないけど実際に行動するのとは違うはず。 そこらへんの緩いカンジが、現代っぽい。ありがちだなあ、と思いました。 最終的に、家族がそれぞれの役割の大切さに気づいて、元のあるべき姿に戻っていくわけなのですが、そのきっかけとして描かれている出来事が安直っていうか興ざめ、安っぽくてちょっとがっかりしました。 人は最初っから何者かであるわけがなく、役割を与えられるからこそ、それらしい人になっていくわけで、そこんところを考えずに済んでいるためにふにゃけた人が多すぎるっ、と私には思える今日このごろなので、この家族の甘々ぶりは腹立たしくもあるけれども、そういうところを描いているこの小説はなかなかだなとも思えました。 主人公の「私」が高校で学級委員に選ばれたものの、クラスの子達がのってこなくて、行事で合唱をしなくてはいけないのに練習しても誰も声を出してくれず困ってしまう、という場面は、この感じ分かるなあ~懐かしいなあ~とも思ったけど、でも高校生でこれはちょっと幼稚すぎるのでは?せいぜい、自意識過剰になってくる小学生高学年ぐらいでは?とも思いました。 この難局を解決するために、まさか泣いたり喚いたりしないよね…と興味津々で読み進んでいったら、やっぱり泣いて人気のある男の子に助けてもらうという展開で、これもがっかりしました。 個人的には、「私」の兄の「直ちゃん」の存在に、きょうだいのいない私としてはうらやましいなあ~と思うと同時に、この「直ちゃん」の力を抜いて死んだように生きているカンジが、自分自身と重なって、分かるなあと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.16 15:18:20
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