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カテゴリ:読書
「過去を失くした女」(トマス・H・クック)を読みました。
小説を書き始めて3作目と、かなり初期の作品だそうです。 私立探偵フランクがニューヨークのヘルズキッチンの夜をさまよい歩く様子は、ローレンス・ブロックのマット・スガターを連想させます。 といってもお酒を飲みはしても飲まれはしないのだけど。 クックもこういう小説を書いていたのかと、意外に思いました。 こういうところから出発したのかと思うと感慨深く、また、こういうところから早い段階で次の高みへと進歩していることが分かり、興味深いです。 イマリア・コヴァロという有名な服飾デザイナーから、自分の右腕として働き自宅で殺害されたハンナという女性について、警察から遺体を引き取り葬式を挙げてあげたいので、家族を探して欲しいと依頼される。 イマリアによるとハンナの過去やプライベートなことは一切分からないということだったが、調べ始めると、ハンナの生い立ちや若いころの活動、過ち、外国での仕事など、さまざまな過去が浮かび上がってくる。 それはハンナという一個人の歴史だけでなく、アメリカの移民の歴史も浮かび上がらせる。 また、華やかな服飾産業を支えてきたのは搾取された労働者たちで、その権利闘争のすさまじさや、さらに、アメリカ人の豊かな暮らしの裏に、南米での犠牲があるという一面にも触れられている。 こういう実態に目をつぶり、または無知のまま、表層の明るくきれいで豊かな世界を成功者として満喫する人たちに、フランクは同調できない。 何があったのかよく分からないけど、この作品の前に書かれた「だれも知らない女」で何らかの悲劇があったようで、沈み込んだ気分でおり、そういう自分の状態にフィットする、ヘルズキッチンの人たちの生態や、調査で少しずつ知ることになるハンナやその周辺の人たちの苦難に満ちた人生の方に、気持ちが入り込む。。 私立探偵があちこち人を訪ね歩いて、謎を明らかにしていく、といういかにもミステリー小説っぽいつくりにしているところは、クックっぽくないというか、他人の習作から始めているというカンジがします。 しかし、扱っている内容の社会性や、犠牲となったひとりの女性の人生を我が事のように感じながら丹念に追って行く様子などは、まさにクックらしいところだと思います。 結局のところ、クックはミステリー小説を書いてはいるけども、たとえばラヴゼイみたいに密室などのトリックには関心がなく、この世の中の実態、人々の感情といった、リアルなものに関心を持って小説を書いているのだと、これを読んで改めて思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.26 12:18:34
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