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カテゴリ:読書
「黄色い部屋の謎」(ガストン・ルルー)を読みました。
表紙に「推理小説史上の名作と称されている」とあるのを見て読み始めたのですが、なかなかページが進まず。 解説によると、ポーが推理小説というものを確立し、コナン・ドイルが活躍するようになり、ルブランが「リュパン」(と書いてある)を登場させるようになった頃の作品だそうで、ルルーはこの作品について「どうしてもコナン・ドイル以上の作品をものし、ポーのミステリー以上の怪事件を考え出そうと決心した」と述べているとか。 そういう、古典として読むべきものなのだと自分に言い聞かせないと、今の小説を読み慣れている身としては、面白味があまり感じられませんでした。 完璧な密室のトリックを作り上げることに注力しすぎていて、犯行の動機や犯人の人物像、心理描写などが軽視されています。 作者はドイルの「まだらの紐」の密室も、人間には入り込めないものではあるが小さな隙間があったのだから完璧な密室ではなく、それではつまらないとしています。 その点は確かに、この作品の密室は小さな隙間もない完璧なもので、本の表紙にあるように、この「心理的」密室トリックはなかなかの思いつきだと思います。 しかし読んでいて、ホウッ!と膝を打ち深く納得できるかというと、そういう感動はありません。へーえ、ふーんという感じ。 私にはやはり、「まだらの紐」を読んだときの驚きやドキドキ感、そして本を読むって面白いっという感動の記憶が鮮烈で、この小説はそれには及ばないなと思いました。 私には、密室トリックが明らかになったときよりむしろ、犯人の意外性の部分を読んでいるときの方が、面白く感じられました。 だいたいどの推理小説でも犯人は意外な人物なんだけど、そう分かっていても、なんとなんとという驚きがありました。 しかし、こんなに犯人は特異な人物なのに、その人物像は終わりの部分でバタバタと語られるのみ、被害者の過去や犯人との関係も、最後の方になって急に実はこんなことがありましてと出てくるだけで、読んでいてどうもムリヤリパズルをはめ込んだような後味の悪さを感じてしまいました。 結局この小説は、事件そのものを描いているのではなく、トリックという技巧的なものを読む小説なのだろうと思います。 このトリックの謎を突き止める、まだ18歳ほどの新聞記者ルールタビーユの、大人顔負けの大活躍ぶりや、自信に満ち大いに張り切って探偵仕事に熱中するさまは、終始非常に生き生きと描かれていて、これは少し前に読んだ「三銃士」のダルタニャンを思い出させるものがありました。 全体として、密室というハコへの強いこだわりが印象に残る作品です。 この、物語を着想するに当たって、頭の中に立体的な構造物を描き、想像力を膨らませていくところは、「オペラ座の怪人」に共通する部分だと思いました。 あの作品も、その空間で一見ありえないことが次々に起こるという意味では、心理的密室トリックといえるかもしれません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.01.14 11:49:47
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