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カテゴリ:読書
「ラスト・チャイルド」(ジョン・ハート)を読みました。
今すごくのってる作家だ、みたいな文句をどこかで見たような記憶があり、古本屋でこれを見つけて飛びつきました。 んー、期待しすぎたのかな。 今も毎日ポッドキャストでCNNラジオを聴いているのですが、アメリカって国はきわもの的な事件がホント次々起こるんだなあと、あきれています。 事実は小説より奇なりっていうか、こんなことを小説に書いたらとんでもなさ過ぎて現実味が感じられなくて陳腐になってしまうよ、というようなことが実際に起こるのが、現実。 それをラジオで聴いているのは面白いけども、そういう出来事をこうやって小説に取り入れたら、ホントに陳腐でチープで薄っぺらになってしまいました、というような小説だと思いました。 世の中の風潮や価値観も、まさに今のあの国の現実をうまく描いていると思います。ま、実際のところはよく知らないけれども。 ラジオとかテレビとか新聞とかで、よく見聞きすることのオンパレード。 こどもの飲酒とか家庭環境の問題とか、処方箋薬やドラッグとか暴力とか、根強いキリスト教的観念とか人種とか歴史の問題とか。盛りだくさん。 でも、この作者がそれらの事柄をどう考えているのか、そこんところがイマイチ見えてこないというか、描き方が通りいっぺんで表層的で浅く、誰もがなんとなくイメージするものをそのままなぞっているだけという気がしました。 スキャンダラスなことを扱っても突拍子もない展開でも、全然構わないと思うけど、それらを取り上げるにはそれなりの理由というか動機がほしいところです。 些細なことでも構わないけど、実際に何かを経験したときに感じる、実感を伴った気持ちとか、他人の立場からは想像もつかないような心境や境地が生き生きと描かれていると、違った印象になったのではないかと思います。 この手の小説を読みすぎている私に問題があるのかもしれないけど。 解説で評論家の人が、不幸について小説で書くことについて述べています。 その部分を読んで思い出したのは、これは私の記憶違いかもしれませんが、柳美里の家庭の問題について井上ひさしが、小説家としてはうらやましいというようなことを言ったというエピソードです。 小説を書くとはどういうことなのか、ということを、いろんな本を読んでいてよく考えるのですが、まさにこの解説にも例示されている、マイケル・ギルモアの「心臓を貫かれて」を読んだ時もそういうことを考えたし、それからポール・オースターの本を読んでいるときも、そういうことがよく頭に浮かびました。 柳美里はプライバシーの扱い方が病的で私は嫌いなのですが、それでも小説を書く覚悟の本気度は本物だとは思います。 「心臓を貫かれて」は文学作品ではなく当事者だから書けたノンフィクションで、これを書く前と書いた後では、著者にとって世の中が変わってしまったのではないかという気がします。 ポール・オースターの作品を読むと、どんなに恥ずかしいような内面の一番奥底の部分でも、それが「真」であるなら文章にし作品として発表するべきと作者が考えているように感じられて、すごいと圧倒されます。 もちろんこの「ラスト・チャイルド」は軽いエンタメの小説なのですが、家族愛とか、人生における過ちはやり直せるというようなメッセージ性で、読む人の心をほろっとさせたいのなら、もう少し真に迫った書き方をしてほしいと思いました。 でもハリウッド映画にしたら、いい感じになりそうです。 ていうか、見る前からもうすでに見たような感じがしてしまう。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.03.19 15:47:23
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