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カテゴリ:読書
「長いお別れ」(レイモンド・チャンドラー)を読みました。
ずっと前から読んでみたかった作品でした。 読み始めてすぐ、まだこれといった事件が起こる前から、はまりこみました。 地の文章のひとつひとつ、主人公フィリップ・マーロウのせりふの一言一言に、ひねりがきいていてしゃれていて面白い。 マーロウの言葉は、皮肉でユーモアがあって、かっこいい。 これまでに読んできたものの中では、ロバート・B・パーカーや原りょうの世界と通じるものがあるように思います。 実際、読んでから知りましたが、チャンドラーの死後、遺族の了解を得て未完の作品をロバート・B・パーカーが仕上げたのだとか。 スペンサーのあの揺るぎないかっこいいせりふとか、ストイックで抑制の取れた感じは、ここから来ているのか。 1953年にこんなにしゃれた世界が出来上がっていたのなら、それ以後にこの手の探偵ものを書いてきた人たちは、いったい何をやってたんだという気さえしました。 しかし、最初のうちこそ夢中になってはまり込んだものの、かなり早い時点で少々飽きてきました。 いちいち、ひねりをきかせてしゃれた感じにさせようと、しすぎていてかえってスマートでなくなっている気がします。 作者の狙っている面白さを光らせるためには、サラッと何気ない文章に時々ちりばめられている程度がいいと思うのに、いちいちやりすぎていてくどくてダサい。 その頃合いをどのように感じるかは、時代によって違ってくるのかもしれないと思いました。 筋書きを書くと、何なんですが、テリーというヨレヨレの人物になんとなくひかれたマーロウが世話をして、やがて二人に友情が芽生えたが、テリーに殺人の容疑がかかり…というような話。 最後までマーロウはテリーを信じていて、その根拠は結局のところ、テリーが垣間見せた礼儀正さや几帳面さ。 世間の評判よりも、その人物が醸し出していた印象を信じたいという気持ち。その人物の内面や実像は、人となりに現れるという考え方。 マーロウのそういう気持ちを、読んでいる側もそうであってほしいと応援したい気持ちになります。 しかしテリーには複雑な過去があり、さらに殺人の容疑がかかることで逃亡を余儀なくされて、人物を偽り世間から逃れる生活を繰り返す人生を送るため、マーロウには内実が空虚な人間と感じられるようになります。 読んできて、何ともやりきれない気持ちになりましたが、戦争をはさんだ人生を送った時代には、こういうことが珍しくなかったのかもしれないと思いました。 ミステリーのスジ自体は、早い時点で見え見えだし、トリックは、それでいいのか??と突っ込みたくなるもので、オマケみたいなものと思って読まないとがっかりします。 これで、「ギムレットには早すぎる」と言われても、あんましかっこいいとは思えん。 まあ、時代かのう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.04.26 23:14:20
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