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カテゴリ:読書
「沼地の記憶」(トマス・H・クック)を読みました。
この人の話は、だいたいいつも同じようなアメリカ南部の舞台設定で、同じように主人公が過去を回想する形式で話が進められます。 テーマとして描かれることも共通するものがあり、これらの共通点は、作者自身を投影したものなのだろうか、それともこれもひとつの戦略なのだろうかと、いつもあれこれ考えながら読んでいます。 この本では巻末に、作者へのインタビューがあり、その辺が作者の言葉で語られています。 私は、初めのうちは作者自身の生い立ちや考えてきたことが作品に反映されているのだと感じていました。 しかしよくあるパターンのミステリー作品である初期の作品を読んでから、作者が今のような形を選ぶようになったのは、ただ小説を書こうとしたら自然にそうなったというのではなく、ある程度戦略的にこういう形式を選んでいるように感じるようになりました。 そこらへんのところを、インタビューでは、自分はこれを書こうと決めて書くということはなく書きたいものを自然に書いている、というようなことを言っています。 しかし、もちろんただつれづれに書いているということではないようです。 アクションばかりで「誰がやったのか」のみを扱い、「誰の身に振りかかったのか」「なぜなのか」に関心が払われていないものではなく、テンポが遅く起伏が少なくても、人間を描いているものがよい、というようなことを言っています。 階級が物を言う田舎町での主人公の位置関係や、父子の葛藤などは、すべてかそのまま事実ではないけれど、ある程度作者自身を投影したもののようです。 これまでこの人の作品を読んで、自分が好きだと感じていた部分について、作者がこだわってそのように描いているのだということが語られていて、非常に興味深かったです。 この話でも、舞台は南部の階級と差別が色濃く残る町で、主人公ジャックは代々大地主の家の人間で、教師をしています。 ジャックは、さまざまな「悪」をテーマにして特別授業を行っており、その授業内容が描かれているのですが、その中に、私がここ1年ほどのあいだに読んだ本に出てきたことが何度も出てきて、驚きました。 たとえば、ソ連時代の極寒のコルイマ収容所へ向かう船の中での様子(「グラーグ57」)。 ソ連の国家保安委員会本部であり地下には刑務所があってさまざまな拷問が行われていたルビヤンカ(チャイルド44」)。 「はっきりしない嫌疑をかけられ、あざけり笑う見物人でいっぱいの大部屋に連れ込まれる男」ヨゼフ・K(「審判」)。 さらに、これらはその授業の中身ではありませんが、そのクラスを受けるエディという子とジャックとの会話のシーンでは、 「鯨に飲み込まれて洞窟みたいな腹の中に浮かんでいるヨナ」(「孤独の発明」)をジャックが思い浮かべたり、 レイモンド・チャンドラーのペーパーバッグをエディが取り出して、これはかなり面白い本でした。あまり急いでいないように見える書き方がいいと思いました。と言うところが出てきます。 取り上げられている本はほかにもあるのですが、私に、何のことを言っているのか具体的に分かるのは、これぐらいでした。 この中に出てきた、「1984」(ジョージ・オーウェル)や「異邦人」(カフカ)をいつか読んでみたいと思いました。 ひとつ本を読むと、芋づる式に読みたい本が出てきて、終わりがありません。 作者はインタビューの中で、自ら「暗い土地をめぐる旅」と呼ぶ、世界中の悲しい歴史のある土地をめぐる旅をしていると話しています。 たとえば日本では、広島や長崎、「自殺の森」(青木ヶ原の樹海)、鎌倉の水子供養のお寺など。 いつかこの暗い場所への旅を本にしたいと言い、暗い場所こそが私たちの生に光をもたらしてくれると言っているのが、面白いと思いました。 この作品も、主人公はしつこく授業で悪について語り、登場人物たちに次々に不幸が訪れ、老人になった主人公がそれらの悲しい出来事を沈痛な気持ちで振り返ります。 全体を通して暗い話なのだけれども、最後の最後にほんの少し明るい気持ちになる。その救われるような小さい希望の描き方がうまくて、なるほどなあ、悪いことが起こらなかったらこれは救いや希望ではなくてただの悲劇なんだよなあ、うまいなあと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.06.17 13:53:56
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