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カテゴリ:読書
「ヒューマン・ファクター」(グリアム・グリーン)を読みました。
何となくこの作者の名前を見聞きしたことがある気がして手に取ったら、裏表紙に「スパイ小説の金字塔」とあって、金字塔に弱い私はさっそく読むことに。 キム・フィルビーという二重スパイの事件が話題となり、それに触発された小説が量産された中で、キムの部下として働いたことのある作者がスパイの「裏切り」についての考え方を示したのが、この小説、ということらしい。 …ちょっと私には難しい。。 この小説が世に出た時に、多くの人が当然のように知っていた事件のあらましや、その意味についてを、今の時代にあっては切実に考える機会があまりありません。 西と東が互いにイデオロギーを背負ってスパイ合戦する、という時代ではなくなって久しくなります。 南アのアパルトヘイトや、ソ連のKGBが、なくなる日が来るとは考えられなかった時代です。 しかし時代が違っても、主人公カースルが、南アから命がけで連れて来た妻とその息子が何よりも大切という考え方に基づいて行動しているということに対しては、一人の人間としてよく分かります。 二重スパイになったのも、イデオロギーによってではなく、妻をアフリカから危機一髪で脱出させてもらった恩義に報いる必要があったからというのも、そういう気持ちになるのは自然なことだろうと思います。 キム・フィルビー事件をきっかけに作られた小説で有名なものが、このグリーンの作品以外にもうひとつ、ル・カレの「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」だそうで、これはぜひ読みたいと思いながらまだ機会がないのですが、その小説で示されているスパイの裏切りについての考え方と、この「ヒューマン・ファクター」での考え方を対させて、後ろの解説が書かれていました。 少し前に読んだル・カレの小説「寒い国から帰ってきたスパイ」では、主人公リーマスは徹底したプロで、自分の経歴までも徹底的に貶めて人となりを偽り、東ドイツに情報をリークするふりをします。 そのようなスパイの行動の動機は、東側の個を犠牲にする全体主義は間違っているという思いであり、つまりイデオロギーによってここまで徹底的に自分の人生を犠牲にして行動するのがスパイであるという描き方でした。 しかしこの小説の作者は、いや、そんなものではないでと言っているようです。 頭でっかちのイデオロギーよりも、もっと深いものがあるんであって、国家機密を守り敵対国から機密を盗むためにどんなに緻密な組織運営をしていても、このスパイというパーソナルな部分を持った人間が行っている限り、家族愛とか恩義といった個人的な事柄を完全に排除することは出来ない、ということが描かれています。 こういう、「ヒューマン・ファクター」は、今の世の中の人間にもよく分かることではないかと思います。 ここに描かれているのは、ヒーロー化したスパイではなく、役所仕事を坦々とこなし家庭を愛する普通の社会人。 そう考えると、ここに描かれていることは、今の時代にも変わらず通用することだなあと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.07.25 09:18:06
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