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カテゴリ:読書
「オリバー・ツイスト」(チャールズ・ディケンズ)を読みました。
地の文章(作者の言葉)が皮肉だらけ。 かわいそうな、悲惨な状況を説明するのにも、ユーモアのある皮肉をピリリと利かせて、安っぽい同情心を牽制します。 子どもの頃、クリスマス・キャロルを読みましたが、今回これを読んで、やっぱりディケンズは子ども向けじゃなく、大人になってから読むべきだなあと思いました。 話の筋書きを簡単に分かりやすく書いてしまうと、寓話的で教訓じみたものになってしまいますが、この小説はもっと複雑なものを含んでいるからです。 後ろの解説にもあるように、ちょっと話の筋が都合よすぎて、予定調和的すぎるきらいがあります。作者が25歳のときの作品だから、とのこと。 この小説を読んで一番に思ったのは、人の一生分の人生を何度か経験した人みたいだなあということだったので、その若さでこれだけのものを書いてしまったことに驚きました。 が、この話がちょっと都合よすぎる点は、そういう作家としての技量不足とは、少し違うのではないかという気がしました。 貧しい人々の悲惨な暮らしやすさんだ心の描写は、非常に詳しく真に迫っているのですが、話全体がそういう路線で描かれているというわけではなく、誇張して戯画的に描かれているところも、いくつか出てきます。 例えば、スリの犯人と間違えられたオリバーが追いかけられる場面。 ドロボー!あいつだっ!と、一人が追いかけだしたら、その声を聞いて周りの人たちも加わり、その追いかける人の列にさらに人が吸い寄せられて、たくさんの人たちが、誰を追いかけているのかも分からないまま追いかける。 その滑稽さは、まるでマンガ。 また、ナンシーという女性を残虐に殺したサイクスという男を捕まえようとする人たちの数が、異常に膨れ上がる様子を描くところも、実際にはありえないことで、滑稽だけれども、群集の心理をうまく表していると思います。 話の筋が都合よすぎる(偶然出会った人が父親の親友だったり、伯母だったりする)のも、最終的に言いたいこと、持って行きたい結末がはっきりしているので、その辺りの事情を現実にありそうなことに小細工する必要がないというか、 あえて奇遇が重なるような状況をつくって、こんなことも全くありえないわけではない、世の中捨てたものではない、というイメージを読む人に与える意図もあったのかも、と思いました。 最終的に、いい人にはいい人生が訪れ、悪い人には悲惨な結末が待っている、という分かりやすい結末。 今の時代の小説を読みつけている身としては、んなわけないやろ、と突っ込みを入れたくもなります。 しかし、単純に、富める人が悪人で貧しい人は善人という描き方ではなく、恵まれた境遇の人の中にも、また、そうでない人にも、それぞれに善と悪があるという設定になっていて、そういう人物設定や話の展開が現実に即しており、細部にわたって目配りされていて、全体的に非常によく考えられた話だと思いました。 今の時代とは、社会の制度も価値観も全く違う世界が描かれていますが、今読んでも、全く色あせて感じられません。 19世紀イギリスの救貧法、その下で運営された救貧院の非情さが描かれています。 当時は、今のように、誰でも、尊厳のある生活をする権利を持っているという考えはなく、上からおめぐみをかけてやるという姿勢。 1950年代に書かれた解説でも、いや、当時は差別的な考え方とかがあって、今とはまるっきり違ったのだ、というようなニュアンスで書かれていますが、私はここに描かれていることは過去ののことではないように感じました。 今、当然だと思っている権利や制度は、勝ち取るまでに、長い歳月と多くの人の尽力があったからなのに、そういうこれまで積み上げてきた努力をないがしろにする風潮が、最近、世界的にあるように思います。 そういう今の世の中の構図が、皮肉にもきれいに当てはまってしまうなあと、この小説を読みながら思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.11.13 23:24:03
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