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地獄めぐり遊覧バスは 別府の観光王として有名な油屋熊八が、 1928年(昭和3年)に設立した亀の井遊覧自動車(現亀の井バス)が始めました その当時七五調で案内する若い女性のバスガイドで有名になり、 日本のバスガイドの始まりと言われています。 別府と言えば地獄めぐり やはり、これは亀の井バス乗るしかないですね 20代のバスガイドさんは、時々入れる決まりになっているらしいが、 この七五調のせりふが恥ずかしくて仕方ない様子で そこだけ声が小さくなります がんばって (海地獄) 油屋熊八は向かいの四国 宇和島の生まれです 彼が移り住んだ明治44年ごろの別府はどんな様子だったのでしょう (鬼石坊主地獄) 地球熱学の研究者によると 別府温泉は5万歳ということですが 江戸時代まで 小さな村落があっただけに違いありません (詳しくは調べてありませんから私の想像です) 明治になり西洋から保養地と言う概念が入ってから 大躍進を遂げていったのでしょう 油屋熊八が活躍したのはそんな時代が動き始めた面白い頃だったのでしょう (山地獄) 大正15年から昭和12年にの間 米国 英国など各国の観光客を乗せた世界周遊観光客船が年に1,2回寄港しました 東洋のナポリと称され 日本での寄港地のひとつに選ばれていました 別府の町のあちこちに残された 当時の栄華の残り香に引き付けられました。 (かまど地獄) 別府に九州の炭鉱王達の別荘が競って立ち並んだのも その頃でしょうか 福岡の炭鉱王 麻生太吉の作った麻生農園も 今流行のエコ 地熱を利用したものでした 今残っていれば 脚光を浴びたでしょうが… それぐらいなら、麻生元総理も長続きしていたかしら しだいに高級住宅として切り売りされていった農地も 数年前に 反対運動にもかかわらず 最後まで残っていた麻生邸も取り壊され普通の住宅街になっているそうです 栄華を極めた時代の残骸を拾い集めるような気分で 別府の町を歩きました (鬼山地獄) 後で訪れました潮聴閣の近くに 赤銅御殿(あかがねごてん)と呼ばれる 敷地1500坪の広大な屋敷があったそうです そこに閉じ込められていた美貌の女流歌人 柳原白蓮 普通の幸せを求め若い社会活動家と飛び出した話は 今はもう語り継がれるだけで、 その豪奢を極めた屋敷はこのあたりというだけで定かでさえありません (白池地獄) 平成の今も相変わらず賑わっている地獄めぐりをしながら 残らなかった大正・昭和の名建築 今 ビルの谷間にかろうじて残った古い建物 何とか残すことにならないのかなと残念に思います。 (血の池地獄) ほんとうに、別府駅から別府公園周辺にかけての一帯は 高級別荘街にマンションが侵食し乱立した典型例ですね 十数階のビル 高さ制限はないのですか? それにしても あんなにすばらしい公園を作った別府市と 都市計画の全く感じられない別府市が同じとは ???で残念です (竜巻地獄) ともかく 若い一生懸命のバスガイドさんに置いてきぼりにされないよう 懸命について回った 2時間半の地獄めぐりを終えました 諏訪湖畔の間欠泉も見たことがありますが どうしてどこも吹き上がる時間がわかるのでしょうか 本当に地獄の釜をのふたを開ける鬼が居るのですか? 案外 裏で時間に温泉のコックを開けていたりして… いえ 自然の不思議です 昼食は駅の食堂で団子汁を食べました
大正ロマンの町 別府 聴潮閣 2010.06.09
大正ロマンの町 別府 高崎山の猿 2010.06.04
大正ロマンの町 別府 2010.06.01
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