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昨日、紹介した『胎児は語る』の中で、赤ちゃんが産まれてからつらかったことの中に、お母さんと引き離されるというものがありました。
母子別室の場合、赤ちゃんは新生児室にいくわけですが、これがいやだったと答える患者が多かったそうです。 これを読んだ時点で、私が出産する病院は母子別室のところと決まっていました。どうしようか考えたのですが、結局その病院で出産しました。 というのも、あくまでこれは私の考えであり選択なのですが、世の中というのは全て自分の心地よいことばかりではありません。状況や環境によってはがまんしなくてはいけないこともある、とお腹の娘に知って欲しかったのです。 病院を選ぶ前ならば、母子同室を選択したと思います。けれども、もう決めた後でした。 しかし、そのままではかわいそうなので、産まれた後、彼女がどういう状況になるのか繰り返し説明することにしました。出産について、何度もお腹に話しかけていたのです。 その中で、新生児室というところに行くと話していました。ただ、それはあなたが嫌いだからではなく、今の日本の出産ではそういう場所が多いのだと説明していました。 それでも、産まれた娘は、新生児室でおお泣きでした。他の子がほとんど動かないなか、一人大暴れといった感じで。手足をばたばたしておりました。 それを見たときはさすがにちょっと後悔しましたが。まぁ、母子分けられて辛いから泣いていたかどうかまでは判断できないのですけれど。 出産そのものは、安産でした。助産婦さんに「赤ちゃんとお母さんの呼吸がぴったりあっている」「呼吸法、何度も練習したの?」とお褒めの言葉をいただいたほどです。 胎教の勉強をしていると、いろいろな理想論がでてきます。 ただ、それを全てすることは難しい面もあります。そのとき、オールオアナッシングと考えてしまうのは早計だと思うのです。 物事にはベストが無理な場合ベターがあります。 この場合のベターは、まず問題なのは何かを考えることでした。『胎児は語る』の中で、離れ離れになる状況で赤ちゃんが思うのは、これからどうなるかという不安と母親に嫌われているという誤解でした。 そこで、私は娘に状況を説明するという方法をとりました。それによって、彼女の辛い思いを多少軽減しようと思ったわけです。 人間関係で誤解が生じるのは、多分に言葉不足にあると思うので、それを胎教に応用したわけです。 もちろん、病院を変えるという選択もあったのですが、私は上記の理由でそれはしませんでした。これは、人それぞれの選択であって、何が正しいかはないと思います。 胎教も最善を求めればキリがありません。また、たとえ、お腹にいたときに胎教に気づかなかったとしても、胎教ができなかったとがっかりする必要はないと思います。その後、可愛がればよいことです。胎教からする育児がベストというのなら産まれてからの育児がベターでも、愛情は伝わります。 いえ、たとえ胎教が完璧でもその後の育児をおろそかにすれば、行く末は見えてきてしまいます。 子育ては長いです。長丁場であせることもよくあります。けれど、簡単に結論をいそいで諦めてはいけないと自戒しています。 常にベストとベターを見据えていきたいものだなと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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