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昔の日記を読み返し、四年たったなぁとつくづく。
このブログも何度もたたもうと思ったのですが、 一応本人は、かなり時間をかけて書いたものであることと、 普段、ぼーーーっと考えていることが文字になっているというのは、 自分の中では貴重で、なかなか、踏ん切りがつきませんでした。 ですので、今回、再開するにあたっても、このまま続けることにいたしました。 ただし、四年前の自分と、考えてることはほぼ一致しているとはいえ、 微妙に違うので違和感を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、 ご容赦ねがいます。 多分、相当軽くなってます(^^; もう、ディズニーキャラクターどころか、うちの娘はプリキュアも解禁しちゃってます。 年長になったと同時に、これらはかなり見てもいいことになりました。 もう年齢も年齢なので、大丈夫だろうと思いまして。 と、前置きしまして。 ちょうど、時間について書きましたので、ずっと考えていることを、ちょっと書いてみようかなぁと思います。 手塚治虫さんが「ぼくは、動くものに色気を感じる」という趣旨の内容を語ったことは有名です。(実際はもっと過激な表現なのですが) 手塚治虫さんのアニメへの情熱を感じる一言です。 動くって何かというと「変化」するってことなのですよね。 「変化」っていうのは「時間」そのものです。 動かないもの変化しないものに「時間」はないわけです。 -諸行無常- 『平家物語』の冒頭に出てくる諸行無常っていうのは、 全てのものがむなしいという意味ではなく、 全てのものが常では無い。 全てのものは変化していくという、まさに時間の真理を語っているわけです。 時計の時刻が「時間」ではないわけですね。 本来、一日の変化こそ時計でいう時間だったわけです。 昔、明日香村に行って、甘樫の岡にのぼって夕日をみたとき 古代の時間を感じて、感動しました。 時間の最たるもの「歴史」は人間や文明がどう変化してきたかを見てることともいえます。 なんで、こんな理屈っぽいことを書いてるかといいますと、 私が「時間」に非常に興味がある人間だと気づいたからなのです。 好きだったり、興味があることには、いつも時間がからんでいました。 「歴史」もそうですし、時間に関する言葉も好きです。 「玉響」「那由他」「鏡物」 松任谷由実さんの歌が好きなのも、時間に関係する歌やタイトルが多いからです。 実際、時間関連の歌が好きなんです。 「経る時」「時のないホテル」「昔の彼に会うのなら」「リインカネーション」などなど。 だから、手塚治虫さんの言葉を始めて知ったとき、すぐになるほどなぁと思いました。 時間っていうものは命あるものにのみに生ずるものです。 そういう意味では、手塚治虫さんは生あるものに色気を感じられたのかもしれません。 これって、とっても創造主っぽいセリフだなぁと思いました。 まぁ、氏は「漫画の登場人物」をまさに創造していたわけですけれど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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