カテゴリ:教育
いつも不思議に思っていたことがある。
それは,なぜ,日本人は,海外の文献を日本語訳することに躍起にはなるが,日本人の優れた業績を,英訳して出版しようとしないのだろうか,ということだ。 もしかしたら,あるのかもしれないが,最近では筒井俊彦の著書を翻訳している慶応大学の方々ぐらいしか思い当たらない。 たぶん,欧米の文献を「翻訳」することで,「専門家」になった気になれる(そのようにあがめ奉られる)学問文化的土壌が,それを手伝っているのだろう。 けれど「翻訳家」と「研究者」は違う。 しかし,これれは「翻訳家」より「研究者」の方がエライといっているのではない。 そうではなく「違う」という事実を申し上げているだけだ。 なぜなら,日本(の人文科学系)ではそれらが「混同」されているから。 たとえば,生態心理学やダイナミック・システムズ・アプローチ,その他なんでもいいのだが専門書の翻訳をした人が,その研究者としての専門家というわけでは,もちろんない(そのテーマの翻訳家としての専門家であるが)。 それはフランス料理の翻訳をしたひとが,その料理人とての専門家ではないのと同じである。 とはいえ,日訳の恩恵を受けまくっている身としては,有り難いことであり,そうした仕事を否定する気は,うぶ毛の先ほどもない。 むしろ「日本語訳者ありがとう!」と,窓の外の夜空に向かって叫びたいほどである(ほんとうに)。 だって,英語で読むのって,何倍も時間かかるし,フランス語,ドイツ語については,それと認識できるぐらいで,まったく意味わからんし、ギリシャ語なんて全然わからない。 だ け ど も ね。 日本独自の理論体系(著書)を他の言語に翻訳することを生業とするひとが,もっと出てきてもいいんじゃなかな,と思うところもやはりある。 経済的な意味でも(印税も)母集団が小さい日本人向けに日本語訳するよりも,全世界向けに「英訳」する方が,いいと思うんだよね。 その方が翻訳者も,世界に日本の優れた業績を紹介した人として,名を残すことができるだろうし。 日本でも,独自の理論体系を生み出そうという流れが起きつつある。 研究も翻訳,出版といったこと含めてトータルで,日本の学問システム全体が変わったときに,ジャパニーズショックが世界の学問体系に衝撃を与えられるのかもしれないなといったことを夢想して,明日の集中講義のために再び眠りにつきます。 (_ _)(-.-)(~O~)ファ…(~O~)(-.-) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/11/09 12:55:13 AM
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