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『シンデレラマン』と『NANA』を連続でみた。
映画を見に行く途中の電車の中で,学生が2人『シンデレラマン』の話をしていた。 僕は前評判とかをできるだけ聞かずに映画をみたいので,嫌だなーと思うが,耳を塞ぐことも移動することもできないので,耳にする羽目になる。 「シンデレラマン,あれたいしたことなくね?(ないよね)」とニヒリズムのかげりのある長身な兄ちゃんがのたまう。 もう一人のイケメンの兄ちゃんは,「え,あれよかったじゃん」と反論する。 「でも,評判ほどじゃなかったじゃん」 「うーん,それはそうかもしれないけど…」 「なっ,おれなんか最初から終わりまで寝てたもん」 「え,もったいないじゃん」 ・ ・ ・ 「もったいないというか,おまえ,見てもいないのに『たいしたことない』とかいってんのかよ」と心の中でつっこまずにはおれなかった。 最初から最後まで寝ていたということは,「見ていない」ということに他ならない。 いわば,これから映画をみようとしている僕とほとんど同じ状態なのである。 映画をみていない僕が「シンデレラマン,あれたいしたことなくね」というのと,同じことを,はずかしげもなく言っちゃったのである。 僕には到底理解しがたいが,世の中には読みもしない本の批判的なレビューを,アマゾンに載せちゃう人もいるらしいので,こうした人たちは,案外少なくないのかもしれない。 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=40306998&owner_id=40830 授業開始した途端にずっと教室の外で遊んでいた学生が,その授業の後で,「先生の授業むずかしくて」と言っていたのを思い出した。 たとえ見ていない人間のセリフであっても,それを聞いて,僕の『シンデレラマン』への期待値は,なんとなく下がってしまった。たぶん,その話自体にげんなりしたのだと思うが。 ところが,実際にみてみたところ,「これは久々にいい映画だわ」と誰かが宣伝で言っていたが,まさにそのままの感想であった。 自分の中で「Aランク」なのは確かだ。 幸いにも,先の兄ちゃんのセリフを聞いて,期待値がかなり下がったのも良かったのかもしれない。 だからといって,あの兄ちゃん自体の評価が上がるわけはない。 それはそれ,これはこれである。 内容に関してもいろいろ書きたいことはあるが,やめておかねばならない。 上映中の映画ネタのむずかしいところは,肝心のその内容について書くことができないことにもある。 さて,次に『NANA』。 映画の前評判は,テレビでちょっとだけ耳にしていた。 それは「ふつうのかわいい恋愛映画」というもので,「こりゃ,かなりおもしろくなさそうだな」と思っていた。 そのため,まったく期待してはいなかった。まあ,話しの「ネタ」としていいかなと思ったのと,漫画も評判なので読んでみたいのだが,その時間がないので,映画で,だいたいの「感じ」を掴んでおこうと思ったのだ。 そもそも,原作の映画化といった類は,期待はずれで終わることが多い。 しかし,今回は原作自体をみたことがないので,そのギャップにやられることはない。 その意味では安心してみれるというわけだ。 『シンデレラマン』がやたらおもしろかったので,その後なのは不利だしね。 ところがどっこい みてみると,どういうわけか捨てたもんじゃなかった。 最初の方の演技は,中島美嘉をはじめとして,棒読みだった気もするが,中盤からは演技も上達し,最後の方は,中島美嘉は強がりキャラクターとのギャップもあり,かなりかわいいなと思った。 この映画に関しては,二人のNANAの中で,中島美嘉役の方のナナに焦点が当たっていたように思う。時折はさまる回想シーンはほとんどそのナナのものだし。 もう一人の宮崎あおい役のナナの方(犬みたいだからという理由でハチと呼ばれていた)も,ある種の典型的な女の子をきちんと描かれているなと思った。こういう女の子,何人か身近にいた気もする。 20歳ぐらいの,全身全霊型の恋愛が描かれていた。中学生の女の子と思われる人がたくさんいたが,中学生がこれをみて「その感じ」がわかるのかなと思った。最近の若者は,恋愛に対して早熟なので分かるのかもしれないが。 松田龍平(松田優作の息子)役のシンは,原作の漫画の方が圧倒的に輝いているらしく,上映後何人かの中学生が不平をいっていた。ちょっとお腹が出ているのが嫌だったらしい。原作を知らないぼくは,なかなか天才系の味が出てて良かったと思ったが。 ともかく,感動したシーンもあったし,おもしろかった。 ちなみに,僕が今まで見た映画の中でもっとも印象深い映画だは,『ショーシャンクの空に』である。 大学生の1,2年生の頃の夏だったと思う。 日曜日の午後に,たまたまテレビを付けていると名も知らぬ映画らしきものがやっていたのだった。 何にも知らなかったので,日曜の昼にやっている3流映画の類だと思い込んでいたのですが,みているうちに引き込まれ,見終わったときには「これは今まで見た映画で一番心に響いたかもしれないな」と思うに到るまで感動に包まれていた。 今思えば,自分が無自覚に享受している「自由」の「意義」を認識させてくれる映画だったのだろう。 「自分は自由に生きれるのに,なぜ,こんな部屋を散らかして窮屈に暮らしているんだ」と思って,思わず自分の部屋の掃除をしたほどの影響力を発揮した。 その頃は,今よりもぼろいながらも広い部屋に住んでいたのだ。狭い部屋に移ったのは,広いと掃除するのがめんどくさいということがわかったからだ。狭くても片づけてあれば,一人暮らしには十分だと思ったからだ。 さて,次の日,この隠れた名作を友人達に教えてあげねばと思って,大学に行った。 得意げに話したところ, 「ああ,あれいいよね。アカデミー賞取ったしね」と友達。 「あ,そうなんだ,道理でね」なんていいながら,心の中では「アカデミー賞,伊達じゃないな」と,「アカデミー賞」を初めて心から認めたのでった。 評価が一気に下がるなんてことはありえないにしても,『ショーシャンクの空に』を,「アカデミー賞受賞の感動大作」などという期待値のもとでみていたら,ここまで心に残るものになっただろうか,とも思う。 映画の評価は,見る前のその映画に対する【期待値との差】から生まれる側面がある。 お笑いなどでは典型である。「ものすごいおもしろいよ」と言われると,だいたい「そうでもないじゃん」ということになる。 言い換えればこれは【期待値ほどじゃないじゃん】ということなのである その意味で,今回は『シンデレラマン』と『NANA』のいずれも自分の中での期待値がそれほどでない状況でみれたのは,幸いだったのかもしれない。 もっとも『シンデレラマン』は,かなりの期待にも応えられる気がするが,『NANA』の方は原作が絶大な人気を誇っているだけに,ファンの中には不満に思うひともいるかもしれないね。 ぼくが恐れるのは,ぼくの書いた文章を読んで(ごく少数なのだが),期待して見に行った人は,その期待値まで達しなかった場合に,「そうでもないな」と思ってしまうことだ。 そうなってはなんだか申し訳ない気がする。 かといって,つまらないといったら,観にいく気すらなくなってしまうだろう。つまらない映画の感想など書くこともないが。 映画の内容について語れないことと同時に,映画に対する評価が。事前の期待値との差から生まれる側面があることも,映画評価をむずかしくしているかもしれない。 ということで,『シンデレラマン』と『NANA』は見に行く価値はあると思いますが,あなたの人生を根本から変えるような映画ではないと思うので,そこまでは期待しないで見に行きましょう,とでも言っておきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/10/26 05:08:38 AM
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