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『バガボンド』とは『モーニング』に連載されている井上雄彦の作品だ。 連載過程で集め始めた最初の漫画であり,いまでも掲載されるのを愉しみにしている。 というか1週間ごとに愉しみにしているイベントはこれだけといってもよい。 なのに3週間連続休み。 つまり,3回続けて,1週間待ち望んで(といっても意識するのは直前だけだけど)「今日は載ってるかな~」と思ってみても載っていない,となってガッカリするということを繰り返したわけだ。 がっかり。 とはいえ,怒りはない。 ただ“切ない”という感じだ。 恋愛と同じで,惚れた方はつべこべいうことはできないのである。 ただただ待つ他ない。 もっとも,怒る気にもならないのにはそれなりの理由もある。 井上雄彦には,締め切りに間に合わせるために,本人が納得いかないものを書いて欲しくないのだ。 彼の作品の質を落とすぐらいなら,何週間でも何ヶ月でも待つ。待ちます。待たせていただきますってな感じである。 だってしょうがないよ。 あれは紛れもない“芸術”なのだから,それはコントロールしてアウトプットできるようなものではない。 “時節”ってものがある。 つまり,それは,むこうがわからやってくるものなのだ。 だから,たとえ彼がぼーっとしてても,温泉につかっていても,なんとなく空を眺めていても,漫画を読んでいても,友達と飲み歩いていても,ゲームしてても,小説読んでても,だらだらしてても,要するに,客観的には明らかに「さぼっている」ようにみえても,全体的には,そういう時間はすべて必要な時間なのだから,彼が書かないのは仕方がないことなのである。 “井上雄彦”を通して作品が構成されているのであり,彼のせいではない。“時節”でなかったというだけのことなのだ。 いわば天気や季節がそうなのと同じだ。 怒ってもしょうがない。 そう思っていつも納得している。 残念ではあるけれど。 たぶん,それらは完全にトレードオフの関係にあるのだ。 そういう人だからこそあそこまでのリアルな作品を書けるのだし,締め切りを遵守できるようならはじめからあの水準の作品を生み出すことはできないのだ。 だから,しょうがないよ。 もっとも,これだけ「しょうがない」というのは,しょうがなくない証拠でもあるのだが。 ということで,代わりにというわけではないが,井上雄彦の『リアル』という漫画を読み返す。 何度読んでも,その名通りの“リアル”さに圧倒される。 ちなみに,これも1年に1巻しか出ない。 最近出たのが5巻。 レビューしようとすると,名シーンだけで構成されていることがよくわかる。 レビューできないのだ。 それだけ人間的事象のリアリティが凝縮されてるってことだ。 思えば,連載が始まったのがぼくが大学院生になるかならないかの頃だ。 少しずつ,たまーに,連載されていた。 圧倒的な“リアル” この作品の良さを他人に伝えようと何度か考えたことはあるが,どうもできなかった。 そして,それがなぜかわからなかったし,それ自体そうだろうなということで,その理由をちゃんと考えようとも思わなかった。 ワンシーンをとってきて,書こうとしてもとても書けそうもないなと思わざるを得ないということが何度かあったのである。 そして,その理由がふとわかった。 それはリアルすぎるからなのだ。 『リアル』では,障害者バスケを通しながらーーという表現すらもはやそのリアルを掴めていないという気持ち悪さがあるのだがーー人間という存在過程のリアルを凝縮した形で捉えている。 そして,そのリアリティゆえに,それを圧縮する,つまり構造化するということに,抵抗を感じるのである。 そこで描かれているリアリティは,既にエッセンスが凝縮されたものーーつまり最も良質な形で構造化されたリアル中のリアルーーに他ならないからだ。 それをさらに凝縮しても,リアリティを損なうだけであり,骨のようなものしか残らないのである。 要するに,圧倒的リアリティを凝縮した形で捉えた作品を,そのリアリティを損なわずにレビューすることは,たぶん不可能なのだ。 「語り得ぬものには沈黙せねばならない」 この有名なヴィトゲンシュタインのセリフは,こういう意味で受け取っておいてもよいかもしれないね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/12/20 12:03:42 AM
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