カテゴリ:雑感
学振とは「将来の学術研究を担う優れた若手研究者を養成・確保するため」に創設された制度の通称である(詳しくは以下↓)。 http://www.jsps.go.jp/j-pd/main.htm 簡単にいうと,3年間,自分の研究に専念して活動しているだけでけっこうな給料と研究費がもらえるという研究者にとってはとても有り難い制度なのである。 若手研究者にとって,こんなおいしい話はない。 当然激戦になる。 最近では業績主義の傾向に拍車がかかっていることもあり,数年前とは比べものにならないほど,競争は激化している。 競争率は10倍以上と言われるが,その激戦を勝ち抜く業績を持っている人だけがチャレンジしているため,倍率以上に,競争“質”も相当高くなっていると考えられる。 しかも過去に学振採用歴がある人は通りにくいという話も耳にする。 こうなると実力(業績)はないと話にならないが,それだけでは受からない。 つまり,運が良くなければ受からない。 学振は,受かっているときは封筒でくるが,落ちているとハガキでくる。 届いたのは大きな封筒であった。 しかし「ハガキから封筒へ形式が変わったのかもしれない」などとふつうに思っていた。それほど自分が受かるという前提はもっていなかったのだ。 また,ちょっと前に,学振から進路調査の封筒が届いたこともあったので,「またそれかもしれないな」とも思っていた。 で,封筒を開けて見たら,「さきに申請のありました特別研究員については,選考の結果,面接を免除して採用する予定としておりますので通知します」とか書いてある。 …うーん,これってどういうことだろう。文字の意味がわからない。 何度か読み返す。 …これって,もしかして,受かったってことじゃないか! 事態が飲み込めて,思わず一人で「よっしゃっ!」といってガッツポーズした。 その後何度読み返しても,にわかに信じられなかったほどであった。 紛れもなく今年最もうれしかったことの一つである。 “祈って”いたものの,正直受かっている可能性は高くないだろうなと思っていた。 だからこそ祈っていたのかもしれない。 ぼくは特に信心深いわけでも,宗教をやっているわけでもないのだが,人間だからこそ,祈るしかないとき,祈らざるを得ないときはあると思う。 自力の及ぶ範囲はーー完全な自力というものがあるとも思えないがーー自ずと限られており,たとえ精一杯努力したとしても,幸運の女神が振り向いてくれなければ,望んだ結果になることはない。 さっそく母に電話したところ,とても喜んでくれた。 その後,母からメールが届き,「じつは母はずっと前から剛央の今回の学振が通るように祈っていたんだぁ」と書いてあった。 とてもうれしかった。 自分のことを想い,祈ってくれる人がいるというのは,文字通り“有り難い”ことだと思う。そうした祈りに支えられて今の僕がある。 すべてこれまで僕を支えてくれた多くの人の“おかげさま”である。 ありがとうございました。 また来年もどうぞよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/01/11 03:15:28 AM
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