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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2006/01/10
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カテゴリ:雑感
31日,実家の仙台に帰るとざっくりと雪が積もっていた。

寒い。

北国育ちだが寒いのは苦手だ。

どてらを羽織って年賀状書きをする。

本来筆まめではまったくないのだが,一応社会人ということもあり,またお世話になった人が質量ともにあまりに多くなってしまったので,書かねばということで書き始めたのである。といっても普段連絡をとらない人を中心としたごく一部の人にしか書いていないけども。


その前に,所沢を出てくるときに急いで2枚だけ書いて,郵便ポストに入れてきた。それから新幹線で延々と書き続けて,仙台の最寄りの地下鉄の駅近くの郵便ポストに入れてきた。そして残りを実家のこたつで書く。

年賀状とは,お世話になった人への感謝の気持ち,来年もよろしくねという気持ち,近況を伝えたいなど,その表現型はいろいろなんだろうけど,その根本は「“あなた”を気にかけていますよ」ということなんだと思う。

その証拠におそらくほとんどひとは,自分に向けて書かれた手書きの部分しか読まないはずだ。

印刷によって一字一句文句の付けようがない秀麗な定型句が並んでいても,それは背景の絵ぐらいの意味しかもたないから,読まないのである。

短くとも他でもない「私」に向けて書かれたメッセージをもらえるから嬉しいのだ。少なくとも僕はそうだ。


宛名ぐらいは印刷でよいと思うけど(僕は印刷の仕方がわからないので手書きで書いたが),年賀状を隅から隅まで全部印刷で済ませる人は,こうした「心」がわかっていないのかもしれない。

もっとも何も書いてなくとも,年賀状に写真などが載っていると結婚したんだなとか,子どもが生まれたんだなとかわかってうれしいものだ。そういえば,祖母は年賀状のひ孫の写真をして「かわいいから何度見ても飽きないわ」といっていた。

最近では,携帯やパソコンの年賀メールも,自分に向けてのメッセージが含まれているとやはりうれしい。


しかし,聞いたところによると携帯を使ってまったく同一の年賀メールを「全員に配信」する若者がいるらしい(僕は幸いにも受け取ったことがないが)。それは言ってみればチラシと同程度の意味しかない。それならむしろ出さない方がよいのではないか。何でもそうだが「心」を失った「形式」はむなしい。

もっともロクに年賀状を出さずに不義理のまま生きてきた僕としては,人様にとやかく偉そうなことをいえたものじゃない。そもそも池田先生の「能動的権利はあるが受動的権利はない」という原則から考えても,他人に年賀状を出す権利はあるが,年賀状をもらう権利はないのだから,そんなことをつべこべいう方がおかしいともいえる。

ただ,「年賀状ってのは『心』を伝えるものだから,“その人”に向けて書いた部分が一筆もないなら,出さないのと同じかそれ以下になりうるし,一筆書いてあるだけで何か嬉しいもんだよね」ってことを言いたいだけである。



ところで,最近,手書きする際には,筆ペンがお気に入りである。

普段の字はとにかく汚いのだが,どういうわけか筆ペンだと毛筆を意識するせいか,普段とまったく違う書き方になるため幾分マシになる。おそらく道具と行為がセットになっているので,筆ペンだと普段とは完全に異なるモードになれるからだと思う。

といっても全然たいしたことないのだけど,筆ペンには気持ちを込めることができる気がして好きなのかもしれない。強く書こうと思えば強い字で書けるし,細やかな気持ちで書けば細い字になる。スペースにあわせて大きさや太さを自在に変化させることができる。同じ字を書いても必ず違う字になる。

おそらく常にそうした変化がつくため,飽きないのだろう。

もちろんミスもあるのだが,それだって全印刷よりはずっといいだろうってことで,あまり気にしないことにしている。

年の終わりに実家のこたつでトコトコと筆を進めているのはなかなか良いものだ。



年賀状に限らず,暮れに年内中にやるべきことを次々と終わらせていくのは,けっこう楽しい。やりかけの仕事にケリをつけて,新たな気持ちで新年を迎えたいという思いがあるせいか,なんだか小さなことでも達成感がある。


話は実家帰省前に遡るが,やりかけの仕事といえば,魔王を倒すことは2005年の至上命題であった。あ,これは3月からはじめたドラクエ8の話。

なにせ世界の平和がこの双肩にかかっているのだ(正確に言うとコントローラーにかかっているのだが)。

魔王(名前忘れた)は空中に島のごとく浮遊している。そのどでかい魔王には,幾度となく苦渋を舐めさせられた。是が非でも年内にリベンジしておかなければなるまい。

ということで,暮れのある日,スーパー銭湯から帰ってきてから,魔王を倒すべく修行をはじめた。

はぐれメタルとかメタルキングといった膨大な経験値を有するモンスターがいる場所を,忘年会のときに後輩から教えてもらったのだ(←いい年して忘年会で話す内容ではない)

で,その場所にいって,そういうモンスターが出たらすかさず「魔神斬り」をかましてぶったおすのである。

その種のモンスターは,やたら防御力が高くて通常1ポイントぐらいしか与えらず,すぐに逃げてしまうのだが,「魔神斬り」はミスすることもあるが,当たると「会心の一撃」で数百ポイントのダメージを与えて一撃でしとめることができるのである。そいつらをガシガシ倒すと,レベルがガンガン上がっていくのである。



さらに余談だが,正月にテレビをみていたら

「くるりワンマンライブツアー2006 ~はぐれメタル魔神斬り~」

という題名のツアーCMが流れていて,一人でやたらウケた。

僕も次に出す本の題名を『科学と哲学魔神斬り』とかにできたらどんなに愉快だろうかと思ったが,さすがにその勇気はない。

くるりとやら,よく知らないながらあっぱれである。そのユーモアセンスと度胸を買って今度CDを買ってみようと思う。



話を世界平和に戻すと,まあ,そんなこんなで「はぐれメタル魔神斬り」しまくって急激にレベルアップして強くなった。

これなら魔王といえども楽勝かもしれない。


なんて思っていたけどもやはり魔王は強く,4人中3人が死んであわや全滅しかけたが,世界樹の葉で次々と生き返らせて,なんとか倒すことができた。

倒してしまうと「図体のわりには意外とHPはたいしたことなかったな」などと,全滅しかけた分際にもかかわらず思ったりする人間とは誠に愚かなものである(愚かなのは僕に他ならない)。

兎にも角にも,かくして世界に平和は訪れた。RPGをクリアしたのは大学生以来ってことを考えると大学以来の快挙を成し遂げたことになる。



しかし,その後,肝心の自分の部屋に平和をもたらす大掃除は完遂されることはなかった。

まあ,いいか。

世界平和の方が大事だしね。





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Last updated  2006/01/11 09:52:18 AM
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