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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2006/01/15
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カテゴリ:構造構成主義
1月15日である。

1年の24分の1(24時間中の1時間に該当)が過ぎたところで,あらためて今年の標語について論じてみたい。

今年の標語を一言(三文字)で挙げるなら,

【頑張る】ということになる。

通常こうした茫漠たるものは目標とはいわない。

漠然としすぎていて,行動指針としても機能せず,また成否の判断基準にもならないためである。

そのため,こんなことをいってもふつうは何の役にも立たない「戯れ言」ぐらいにしか受け取られない。

だから,もう少し論じる必要がある。



僕にとって,頑張る/頑張らないの,具体的「境界線」がある。

それは「しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやるか否か」ということだ。

昨年は,身体を休ませるという意識もあったため,そういう境界線において,踏みとどまることがあまりなかった。まあ,「いいや明日にしよう」とか。「今度にしよう」とか,多くの場合楽な方に流れていった。

念のためにいっておくとそれ自体は悪いことではない。ただ,今年は【頑張る】ので,そういう場合に踏みとどることを選択しなければならない。

ただし,これはあくまでも「迷ったときに」どちらをとるかということであり,休むべきときにも無理をする,無茶をするということではない。

疲れているときは「迷い」などなく休む。

眠いときは「迷う」前に寝ている。

また逆に,やる気が溢れているときは,いつの間にか何かをしているに違いない。


重要なのは,「迷ったとき」その境界線でどちらに転ぶかにある。


これがなかなか厄介なところは,1つ1つの決断はとても小さな意味しかもたないことにある。

たとえば,今日(昨日)「雨が降っていたから研究室に行きたくないな」と思ったのだが,それで研究室にいかなくとも,その差は1日分仕事が進むか否かというだけのことだ。

たいした話ではない。

そう,個々の話をみると「たいした話ではない」ゆえに,それが巧妙な罠となるのである。

現実には明らかに疲れ切っている時や,明らかにやる気に溢れているときなどはごく一部だからだ。

そして,だいたいはやらなくても致命傷になるわけでもなく,やってもとりたてて良いことがあるわけでもなく,“それ”だけみれば,どちらでもいいような曖昧な状況がほとんどなのである。

わかりやすくいえば,明らかに疲れ切っている時(有無をいわさず休むべき時)が1割,明らかにやる気に溢れている時が1割,どちらでもいいような曖昧な場合が8割といったものなのである。

その8割が,どちらに転ぶかは,長期的にみれば極めて大きな差異になって現れる。


「塵も積もれば山となる」という格言の真の意味はここにある。


つまり,一見微細な塵のようにみえる瞬間瞬間が現実の多くの割合をやつが占めているため,それが積もると山といったような大きな結果となって現れるということなのである(きっと)。

塵が少ししかなければ山になどなるはずがなく,いつまでたってもゴミ以上のものにはなるはずがない。

 
以上のように考えれば,「今年はがんばる」という漠然とした標語は,日常レベルで機能する【行動指針】に変換することが可能になる。

それは,

【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやる】

ということである。

「それでもまだ抽象的だ」という意見もあろう。もちろん,具体的な目標を立てることも大事であり,それを否定するつもりは毛頭ない(別の話になるのでここでは特に論じないけども)。

ただ,ここで論じているのは,その具体的な目標を達成するために機能する【行動指針】に他ならない。それをやっていれば,結果的に,その目標が達成できてしまうような指針となることを確認しているのである。

これは「原則」であるため,テーマや行為内容を問わず,汎用性のある「視点」となる。

「抽象的」というのは実践という側面においては悪口であることが多いが,抽象的だからこそ有効に機能するということもあるのである。

多くの実践家は“現実においても”「抽象」は「具体」の反意語だと信じているため,こうした誤解を正解だと信じている。これはいかに現実がみえていない自称実践家が多いかということでもある。

しかし,構造構成主義的にいえば,「抽象」と「具体」は関心相関的に選択されるべきことであり,それらは相補完的関係にあるということになる。目的達成のために,どちらも有効に使っていけば良いのである。


ともあれ,日々この行動指針を実践できるかどうかに,今年が自分なりに納得いく年になるかどうかがかかっている。

そしてその行動指針を一言に凝縮した「標語」が【頑張る】なのである。

こうした標語があると便利である。

つまり,「よーし,今日も【頑張る】ぞ!」というセリフは,
=「よーし今日も【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやる】ぞ!」ということを意味する。

そして,「よーし,今日も【頑張った】ぞ!」というセリフは,
=「よーし今日も【しんどいから,めんどくさいからやめておこうかなと迷ったときに,踏みとどまって,やるべきことをやった】ぞ!」ということに他ならない。

こうして,日々【頑張る】をおおかた実践していれば,おのずと目標も達成されるはずである。とはいえ,これも100%達成するのは現実的ではないので,8割方達成することを目指してちょうどよいぐらいかもしれないが。





ともあれ,とりあえず今日は,「よーし,今日も【頑張った】ぞ!」とある程度胸を張っていえることはできた。

ご褒美にビールで買って帰って,ゆっくり休んで明日もがんばろうっと!

(注:以上は一般的な(だが実は無根拠な)日付変更時間には従った言明ではないのであしからず)。






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Last updated  2006/01/15 08:35:27 AM


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