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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/04/09
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カテゴリ:雑感

大掃除している。年末もやらなかったから。

片付けようとすればするほど散らかっていく。

再構築するためには一度壊さないといけないかの如く散らかっていく。

毎日少しずつ進めているからよくないのかもしれない。

昨年は春に母が妹の引っ越しを手伝いに東京にきていたため手伝ってもらって研究室等々の引っ越しがすんなりできたのだが,僕の手には余る。

でも,最近読んだ本に,掃除などもただひたすらやることで案外ストレス解消になるものだと書いてあったが,確かにそういうところはあるかもしれない(掃除開始前はストレスになるが)。

おもしろいのは,ひたすら何かをやっていると文字通り「無心」になっているときがあり,そういうときの記憶がまるっと抜け落ちていることがあることだ。

あれやらなきゃと思うとやってあったり,あれやってないやとおもったらやってあったり,忘れていることを忘れていたりといった具合。

なんだこれは。クリーニング・ハイか(別にハイになっているわけじゃないんだけど)。



ちょっと質が違うのだが,水泳やっていた頃のことを思い出す。選手コースの練習は厳しく,毎日マラソン大会にのぞむようなものだがったが,泳いでいるとあるところから「無心」になってつらさも感じなくなる。いつの間にか練習が終わっている。これはスイミング・ハイとでもいう状態なのかもしれない。

そうなってしまえばこっちのものなんだが,そうなるためには“あの苦しみ”を超えなければならない。今思えば、よくあんな厳しい練習耐えられたなと思う。


で,クリーニングハイになるのはおもしろいから,また掃除を続けてそうなりたいのだが,こういう状態は意識している限りなれないという独特の難しさがある。

本当に集中しきっている状態は,そうしたことも意識していないのであって,そうした意識が働いた途端それは集中が切れることを意味するからだ。

これはつまり「意識する」ことによってそうした状態に至ることは原理的に不可能ということを意味する。

ではどうすればいいのか?

意識をコントロールするのではなく,そうなってしまうような状態に身を置き行動をコントロールするしかないのだと思う(そういう意識はするってことだが)。



あ、雨が降ってる!





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Last updated  2007/05/29 04:07:35 AM
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