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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/04/10
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カテゴリ:政治・経済
選挙って意味あんのかな?と僕は思ってきた(以下暴言多謝)。


たとえば人口200万人だったとして,投票率が50%としてみよう。この場合100万人の人が投票することになる。

結果,

Aさん 60万人
Bさん 30万人
Cさん 10万人

となったとする。


仮に投票率が著しく悪く,5%だったとしてみよう。この場合10万人の人が投票することになる。

結果どうなるか? おそらく,

Aさん 6万人
Bさん 3万人
Cさん 1万人

となるんじゃないだろうか。

つまり,大勢は変わらないんじゃないだろうか。


統計ってのは,ひらたくいえば,母集団のごく一部を取り出してきて,それをもとに統計的に母集団の構造を推定していくという方法だ。

まあ間違える可能性もあるんだが,人口単位の標本(何千,何万)があればその確率も限りなく小さくなるだろう。


ただし,5%と50%のときに何が違うかといえば,5%のときは政治に常に関心のあるひとか,投票には必ず行くと決めているひとか,何らかの利害関係があるひとが投票しているということだろう。

つまりこの場合,ランダムサンプリングではなく,かなり偏ったサンプルの人だけが投票にいっているということだ。


他方,50%の場合,平均的に政治に関心のあるひとも投票しているといえるかもしれない。その違いによって「割合」が変わるということはあるだろう。

しかし,その場合でも僕のような少数派の意見が選挙に反映されることはない。選挙って意味ねーんじゃねーかという意見が反映されることは,ない(別にいいんだけど)。

ともあれ,上記の理由から投票率によって,得られた結果(構造)が違うということはありうる。しかし,仮に投票率が低かったとしてもそれだけどうでもいいと思っているか,誰がなっても同じってことだろうから,それはそれでいいように思う(どんなに投票率が低くともドクター中松のような人が当選することはさすがにないだろうし)。




「いや,49:51という微妙な争いになることもあるだろうから,そういう場合はひとりひとりの投票が重要になる」とおっしゃる方もいるかもしれない。

しかし,微妙な争いということはどっちに転んでも大して変わりないってことじゃないか。

「いや,正反対のマニフェストを掲げてたら施行される政策は大違いだ」というかもしれない。

でもね,その場合,どっちに転んでも約半分の人はその政策には反対ってことだから,どっちに転んでも民衆の満足度に違いはない。

しかも,政治家をみている限り,実際問題マニフェストがどれだけ遵守されるのかもはなはだ心許ない。


それに当たり前過ぎるのだが,多数派(マジョリティ)の考えが反映されるのが民主主義なのだ。だから志なきところで少数派が不利になる法律がガシガシ作られるのは必然的なことなのだ。




とはいえ,僕のような人の考えも,常に少数派であるということはない。あるときは(ある部分では)少数派であり,あるときは(ある部分では)多数派であるということはあるだろう。

で,僕が少数派の場合,投票しても少数派ゆえにその考えが反映されることはない。つまり,投票した人が当選することはない。仮に僕が多数派だったならば,多数派ゆえに僕が投票しなくともその人は当選する。

ゆえに僕は選挙に行く必要がない,ということになる(←「屁理屈」もここまでくると「論証」というものに変質する)


外山氏(僕は知らないのだが)が「選挙などしても世の中変わらない」といっていたらしいが,それは「現在の日本においては」という限定を付ければ、正しいように思われる。

ただし,僕は「投票する」という行為にまったく意味がないといいたいわけではない。世の中,政治に関心が出てくれば,政治家はあまりめちゃくちゃなことはできなくなるだろうし,「投票する」という行為は,そういう「抑止力」の役目は果たしていると思う。

偉そうにしている政治家も選挙のときだけ民衆に頭を下げて歩くのは,そのときばかりは大衆に首根っこをつかまれているからだろう。

したがって投票するという行為それ自体には意味があるが,それでも,選挙それ自体では世の中変わらない。


もっとも,あまりころころと世の中変わってもらっても困る。

システムが急激に変わるということはリスクを伴う。進化した生物のほとんどは失敗して,ごく一部が残っただけらしい。システムはさしあたって変わらない方が生き残る確率が高いのだ(それは最善ということではないし,確率の話だけど)。

池田先生が,遺伝子は生物システムが進化するためではなく,むしろ進化しないため,構造を括り付けて変わりにくくするためにあるのだとどこかに書いていたが,社会システムも同じかもしれない。

実は,選挙とは世の中を変えるための装置ではなく,社会を変わりにくくするための装置なんじゃないだろうか。




人々の「考え方」それ自体を変えることで,はじめて世の中変わるのだ。そうしたものをときに反映するシステムが選挙であり,投票なのだろう。


もし僕の本などを通して,人々の考え方が少しずつ変わっていったら世の中も少しずつ変わるということもあるかもしれない。 それでもたいして変わらないかもしれないが,そんときはそれでいいってことだろうから,それでいいのだと思う。



ってなことを寝ながら考えた(過眠障害ってあるのか?)





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Last updated  2007/10/30 01:34:46 AM
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