カテゴリ:構造構成主義
関心相関的観点は、かなり使い勝手の良い観点である。だからこそ、いろいろな領域に導入されているのだと思う。
他方、この欠点はどこにあるんだろうと批判的に吟味していたつもりだが、なかなか思いつかなかった。 自他の関心を見定めつつ、議論するのは、すれ違わないためにも良いことだからだ。 しかし、最近非建設的な使い方というのがわかった。 それは「Aさんの関心はこういうところにあるのだから納得していない」とAさん当人がいってもいないことをでっちあげて(事実Aさんはすぐに納得している)、Aさんの代弁してみせて、起きてもいないズレを生じさせ、それを盾に批判をする、という方法だ。 これは「私は相手の立場をおもんばかっている」という正義の錦のもとで行われるだけ、なかなかタチが悪い。 分かった気になるのは勝手だが、Aさんじゃないのになぜそんな代弁できるんだろう。 それはあくまでも自分の関心でしょ。自分はこう思った、といえば良いだけのことだ。 今回のことを通して考えたのは、構造構成主義の理路を自分を正当化し、相手を批判する「ため」に使うひとがこれから出てくるだろうということだ。 早とちりする人は「だから駄目だ」となるかもしれないが、そういうことが起こったとしても、それは「理路」が悪いのではない。 「理路」は「理路」であり、それに良いも悪いもない。 しかしそれは、使う人によって、非建設的な目的で使うこともできる、ということは知っておくべきだろう。 そして、それを防ぐためには、それを見抜くための上記のような視点を明示化しておくこと、そして、それを多くの人が共有しておくということが必要となると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/29 04:14:33 AM
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