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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/04/21
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カテゴリ:雑感

最近ぶっそうなニュースが多い。

アメリカの大学の銃撃事件など、記事を読んでいるだけなんとなく暗惨たる気持ちになったりする自分に気づき、今更ながらなんでだろう?とちょっと思ったりする。


先日、ひさーしぶりにむかーしつきあっていたこから電話があって話をしている中で、なんとなくその事件のことを話題にしたら、そうだねえと相づちを打ちつつ「それより重要な話があるんだけど」って自分のたわいもない話に話題を戻したので、らしいなあと思ってなんだかおかしくなった。

異国で悲惨な出来事があっても、現象としては身近な問題の方が重大だってことは、マジメとはいえないが、素直だと思う。

竹田青嗣風にいえば、宗教などの文化装置によって、価値の網の目を「世界」へと超越的に拡張していない限り、やはり、身体・欲望相関的に、価値の網の目は身近な対象、事象に作られるからだ。

それは身体をもつ人間として生活世界で生きている限り、多かれ少なかれそうならざるをえないのだ。


でもまあ、あっけらかんとそんな態度を出せてしまうのは「子ども」ということになるのかもね(子どもは身近な生活世界だけで生きているから)。そして、「大人」はいつだって「社会」や「世界」に関心を向けて憂えているのかもしれない。


え、僕はどっちかですって?

僕はたまに大人の関心をもってみたりする子どもってところかな。

何せ選挙の行方や投票率なんかよりも、「選挙カーの騒音」の方が、僕にとっては重大な関心事なのだから。





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Last updated  2007/05/29 04:44:29 AM
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