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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/05/14
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カテゴリ:雑感
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父と久しぶりに山に山菜採りに行った。

小学校以来かな。

小学校までは,海に山にもよく連れて行ってもらっていたけど,中学校以降は部活が忙しくて行けなくなって,その後は受験,大学で上京して,大学院等々忙しく過ごしていて,いつの間にかこの歳になった。早いものだ。

父の猟で使っていたスパイク付きの長靴を貸してもらって,右手には柄の長い鎌をもって,腰には籠を下げて,藪の中に分け入っていく。


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まず慣れない山の中だから,満足に動けない。登山はほとんどの人はしたことあるだろうけど,「登山」と「山歩き」は違うのだ。道のないところを分け入っていくのだから,もう全然違うものなのだ。

「そこにたらっぽがある」「そこらへんにしどけがあるはずだ」と言われて,みてみて,「あ,あった」となるが,慣れない運転みたいなもので,視野が狭くなっていることもあり全然みえない。

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慣れてきたら,少し見えるようになってくるけど,そうすると足下がおろそかになって転ぶ。父はまったく転ばなかったが,父の後を付いていった僕は何度も転んだ(あるいは転びそうになった)。

父は平らな地面を歩いても汗は出ないが,山を歩くと汗をかく。山は一歩一歩全部違うからなと言った。養老先生がシンポジウムでおっしゃっていたことと同じことを言っているなと思った。

しどけは沢の肩あたりで湿るけども乾くような場所に出るのだ。

一度沢の急斜面のところに生えているしどけを採ろうとして,最初は鎌を木にかけていたから大丈夫だったのだけど,それを外した途端にズルズルと落ちていった。泥の下が岩盤になっているから止まらない。ようやく止まったときにはズボンや服が泥まみれになっていて,父は上で笑っていた。




研究者は目が悪くなったらやっていけないなと思っていたけども,山はそれどころの話じゃない。目が悪かったらどうにもならない。ただ,この場合はいわゆる「視力」だけの話じゃない(もちろん,それもないとどうにもならないけど)。

「そのまま肩の方にあがっていくとあるはずだ」と言われて行くと必ずあるのだ。すぐにはみえないので,立ち止まってじっくり周りを見渡す必要はあるんだが。そして生える条件が限られているため,1本あるところには何本もある。

父は予測もしているのだろうけど,遠方から,そこにあると分かったところを指示してくているんだなと思った。

いってみれば「生態学的な視力」がないとそこにあるはずのものが「みえない」のだ。

生態学的視力とは,「こういうポイントにある」という予測と,「こういう風にみえる」という慣れと,生物学的な視力からなっているように思う。

たぶん,生物学的な視力は僕と父ではあまり変わらなかったはずで,最初の二つの要因に圧倒的な差があったのだと思う。

父は「おざわさん(僕のテニスの師匠で釣りの達人)がみえない魚がみえるようなものだ」と言っていた。


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ずっとついて歩いていると,「お父さんにくっついてきてばかりいると場所を覚えられないぞ」と父はいった。そうなのだ,昔から一つも場所は覚えていなかった(しかし。そもそも車できたこの場所すらどこなのかわからないのだが)。

どうやって覚えるの?と聞くと,少し考えてから「あっちに山があって,こっちに沢があるべ」と答えた。

要するに,山と沢を軸に認識し,動いているのだということがわかった。そう言われると僕にもどう動いてきたか整理されたような気がした。

そういえば,昔父に「山で迷ったときは沢を下っていけば山から出れる」ということを聞いたのを思い出した。

僕は学問や研究法についてもそうだが,あらゆることについて教えるべきは,こういう知識だと思っている。この前書き終えた質的研究法の本は,そういうものにしたつもりだ。

その他にも,父は滑りやすい斜面の歩き方(靴を横にして歩く)や,鎌を右手の一部にして両手を駆使して歩くということや,ある種の山菜のなる場所の「探し方」について教えてくれた。

親子二人で行ったせいか,昔に戻ったように,父は「お父さんはな,」と語っていた。久しぶりに聞いて,いくつになっても親にとっては子どもは子どもなんだなと思い、なんとなく嬉しかった。自分にとってもいつまでたっても父は父だ。

子どもは親の背中を見て育つというけども,自分が自覚している以上に親の影響は受けているものだということを、最近感じるようになった。子どもの頃,父に野山や海に連れて行ってもらった経験は,今,研究者としての自分にとってみえない財産になっている。きっとこれからも実感し続けるに違いない。


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Last updated  2007/05/29 08:59:51 PM
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