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カテゴリ:週間医学界新聞連載『研究以前のモンダイ』
週間医学界新聞のHPをみていて気がついたのですが、構造構成主義シンポジウムの記事↓の最後に、「研究以前のモンダイ」が紹介されています。 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2729dir/n2729_02.htm 何気なくそこをクリックしてみると、名越康文先生の記事に飛びました(笑)。たぶんリンクミスですね(近いうちに修正されるうと思うので、今のうちにクリックしてみてください)。 名越先生は、甲野善紀先生の畏友でもあり、ちょっと前に「グータン」ってテレビ番組にも出てましたね。 これも何かの縁だろうと思って、名越先生の記事を読んでみたのですが、さすがにおもしろい! http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2727dir/n2727_07.htm ある衝撃的な出来事から、「笑顔は笑顔。それとは別に,身体の後ろから発する雰囲気のようなものに注意が向くようになった。」と書いてあったけど、僕がもっとも信頼している能力は「直観」だと思っているのですが、まさに僕は「後ろから発する雰囲気のようなもの」をみているのかもしれないと思った(僕のいう「直観」はもうちょい複合的な(曖昧な)概念のような気がしているけど)。 コトバや台詞、行為はごまかせても、総体として立ち現れている雰囲気みたいなものは、その人の本当を映し出しているようにも思う。 記事をみて、改めて、名越先生と同時期に連載させてもらっているんだなあと不思議な気分になった。本当に有り難いことです。 ちなみに名越先生の連載、第二回はこちらです。 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2007dir/n2731dir/n2731_06.htm 名越先生がここで「パンドラの箱」と呼んでいるものを、僕は「方法的思考停止」と呼んで、実際多いに活用してきた。 僕はだいぶ前からこんな風に考えていた。。 考えすぎて自殺することはあっても、考えなくて自殺することはない。動物は自殺しないから。文学者とか哲学者とか、考えすぎて自殺してしまうのは、本当の意味で賢くないからだ。本当に頭が良い人は、これ以上考えたらヤバイなと感じたときに、「さしあたって、その論件について考えることをやめる」ということをできるに違いない。 今は、それほど単純なことでもないと思っているけども、それでも「方法的思考停止」ができるということは、重要な能力だという確信に変わりはない。 それは、「思考」に支配されるのではなく、「思考」をコントロールする能力に他ならないからだ。 それでもいろいろな「思考」が勝手に頭のなかで、飛び交っているとき、これは「僕が」考えているのか、と不思議に思うこともあるけども、そういうときはどうするか? ぶんぶんっと頭を振って、「思考」を消すのです。 人間、脳が揺さぶられているときに考えることができないのです。 その証拠に、何かを考えているとき、動きを止めてじっとしてるでしょ? ほらね。 暴走する思考は、身体でコントロールするのは効果的なのです。 (「思考」を「思考」によってコントロールしようとしても、コントロール主体の「思考」が暴走しているのだから、どうにもならないってわけです)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/30 10:31:01 PM
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