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カテゴリ:雑感
よく池田先生のもとに出版社の人がくる。 もうどれだけの出版社の人と研究室で出会ったかわからないが、そこに現れる出版社の人には二種類の人間がいる。 好意的な人と、そうじゃない人だ。 誰に対しても分け隔てなく接する人と、偉い先生にだけ媚びへつらう人といった方がいいだろう。 これははっきり二極分化している。 そして、おもしろいことに、それは一瞬でわかる。その人の顔や雰囲気、たたずまいをみただけで、わかってしまう。台詞ではなく,醸し出す雰囲気、全体にそれは現れるものだ。 僕にとってそうした直観は、良きにせよ悪きにせよ、後のやりとりで「ああ、やっぱりな」と裏付けられるのみである。 特に池田研究室を訪れる出版社の人は、池田先生に本を書いてもらうという「目的」がはっきりしているからこそ、その目的以外のモノ(僕など)には価値を見出さないため、この差異は拡大され、見えやすくなっているのだろう。だから、はっきり二極分化する。 自分が偉い先生ではないメリットは、相手の「素」がみえやすいところだ。相手にとって何者でもない自分に対してどういう態度をとるのかで、相手の「本当」が如実に表れる。 相手は、まさかそういう視点から観察されているなど思ってもいないから、その態度は,ときに「おお、この人ずいぶんと舐めた態度とってるなあ」と面白くなってしまうほど如実にみえたりする。 自分が偉いと思っている人の中には、自分だけが相手を評価できると思っているかのような人がいるけど、それってすごい勘違いではないだろうか。 相手が、赤ちゃんでも、子どもでも、お店の店員でも、誰であっても、コミュニケーションする以上、相手もこちらと同等の権利を有しているのだ(好き嫌いなど思うことは止められない)。 そんなことにも気づかずにふんぞり返っているのは愚かという他ない(あるときから、だんだん忘れていっちゃうのかもしれないけど)。 そして、そういう人の中には、僕の社会的な評価を知った後で、掌を返してくる人もいるのだが、何者でもない自分に対してその人がどういう態度を取ったかを忘れるわけがない。人間として信用ならない。逆に何者でもない自分,あるいは他人にもちゃんと接してくれる人は信頼できる。 これからは次第にそうしたことがみえにくいポジションに行くかもしれないが、僕は騙されないようにしよう。そして、おごり高ぶることなく、誰に対しても、ふつうに接することができる自分でありたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/06/06 11:00:06 PM
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