カテゴリ:スポーツ
大学時代のテニスで主に活動していた連盟の飲み会に行ってきました。
行くまでは、さしせまった原稿のこともあり、やや気が重かったんだけど、他の大学の懐かしい人達に出会えて愉しかった。 大会でライバル関係にあった人達や、同じようにプレッシャーを背負いながら戦った同期の他大学の主将達と杯を酌み交わすのは、感慨深いというか、なんか良いものがあった。 その他いろいろ話題に出てもほとんど忘れていたが、ここまでくると、勝ち負けというよりも、いろんなものを背負いながら全力を尽くして戦ったという連帯感の方が圧倒的に強くなるものかもしれない。 それとその連盟内で付き合っている人などもけっこういたわけで、いろんなところに地雷が埋まっているのだけど(もちろんそのまま結婚したペアもけっこういるのだが)、時間が経ちすぎていて、地雷を踏んでも時効により爆発しないのがおもしろかった。 法政の一個上にH塚さんという凄いプレーヤーがいたのだが、まだテニスをされているようで、なんか嬉しかった。相変わらず、この人は話していて気持ちの良い人だ。その人と話をしているうちに、いくつか思い出した。 大学1年のとき、連盟を超えたインドアの大会があったのだが、それは各連盟の個人戦上位進出者ごとにチームを組むトーナメント戦で、僕はペアがS田さんで、H塚さんと同じチームだったのだが、見事に遅刻したことがあった。 前日、小学校からの親友が泊まりにきていて、遅くまで話をしていて、目が覚めたら集合時間だった。携帯などない時代だったので、とにかく大急ぎで向かい、代々木体育館に着いて扉を開けたら、チームメイトがすでに戦っていた。 しかし、僕は1番手に出るはずだったのだが、3番手に回してもらうことで、どうにか間に合ったようだった。そういう時は不思議と勝ち運があったりするもので、H塚さんなど頼もしい仲間のおかげもあり、ベスト4まで勝ち上がった。準決勝では、インハイ上位進出者のダブル後衛と対戦したのだが、二人揃って高いロブしかあげない変則的なテニスの前に敗れ、結局そこが優勝した。 H塚さんに言われて思い出したのだが、4年生のときは主将として六大学を率いて、関西の四大学(関関同立)との東西対抗戦の団体戦(殲滅戦)に勝ったこともあった。なつかしい。 その飲み会には、今の自分の関心(研究の話)を話して通じそうな人は誰もいなかったが(当たり前だし問題なし)、それでも妙に居心地が良かったのは、風通しが良い人柄のやつばっかりだったからかもしれない。そういや、他の大学に、僕のファンだったという人達がいて驚いた。そんな奇特な人がいたなんて全然知らなかったが。 テニスでは、勝ったら嬉しいし、負けて悔しい思いもしたが、次に向けてがんばるぞと思うのみだった。 単純だが、みんな勝ち負けというものを受け入れて、それなりにやっていたし、勝った人も負けた人を軽蔑するということもなかったし、負けた人も勝った人の足を引っ張るということもなかったように思う。 僕は大学まで風通しの良い環境で、仲間やライバル達と切磋琢磨できたことは良い思い出だし、改めてテニスをやって良かったなと思った。 続けているといいことがある、というのはこういうことなのかもしれない。 愉しかったなあ。 おわり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/08/20 03:50:54 PM
[スポーツ] カテゴリの最新記事
|
|