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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/07/27
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カテゴリ:雑感

誕生日のメッセージやコメントをくださった皆様あらためてありがとうございます。誕生日に原稿執筆している身に染みました。


さて、ちょっと仕事が落ち着いたので(全然落ち着いてないのだが)、改めて33歳になった自分を振り返ってみると、何も変わっていないわけですが、病気にもならず、手足を失うこともなく、大事な人達も健康でいてくれるので、もうこれ以上望むことはないといってもいいかもしれない。いや、ないといったら真っ赤なウソになるけど、でも、一番大事なところ(最も起きて欲しくないことが起きないということ)はクリアされているので、僕は幸せです。


いつの間にか33歳になってしまった、という感じがする。
むしろ、33歳って何? 意味がわからん。昔は、33歳といったら、何かを超越した大人だと思っていた。小学校の頃の担任だったS先生よりもずっと年上じゃないか。S先生どうしてるかな。

にもかかわらず、当人(僕)は、あまり成長らしき成長もしてないような気がするが、きっとみんなもそうなんだ、と思い定めてごまかすことにしよう。



僕は、昔に戻りたいとは思わない(思ったことがない)。だって、せっかくここまでやってこれたのに、また戻ったらまたあの努力しなきゃいけない。そりゃたいへんだ。書いた本をまた書かなきゃいけないかと思ったら、ごめんこうむるという他ない。

近年、一番の変化といえば、外食率100%から自炊率100%にかわったことかも。外食するより自分で作った方がうまいし、やすいし、気晴らしになるし、いいことしかない。やる気があったら、できるもんだなあと再確認。他方、外出率5%ぐらいになってしまったが。




で、なんだっけ。あ、そうだ33歳再考だ。

33歳まで生きれてよかった。生きてなかったら死んでるところだった。

僕が仮に、66歳まで生きるとしたら、半分折り返し地点ということだ。その頃まで、自分にとってかけがえのない人が少なからず死んでしまうかと思うとちょっと涙目になってしまう。

池田先生は、ネキダリス研究会の飲み会のとき「おれはそのうち死ぬからいいけど、君たちは、これから生きていかなきゃいけないからたいへんだなあ」と言っていた。



池田先生が死ぬのは良くないが、僕らは確かにたいへんだ。

僕も、長生きする可能性もないわけじゃないから、そうするとあと数十年はいわゆる「現役」で稼げるポジションに就く必要がある。要するに、がんばる必要がある。これは、けっこうたいへんだ。

しかし、がんばらないということは、死んだ後でもできそうだから、さしあたって、できるだけ自分のやりたいことを忘れないようにしながら、がんばっていこうと思う。

でも、がんばるために生きてるわけではない。池田先生いわく、人間は愉しむために生きているのだから、その命題を胸に刻んだ33歳になろうと思います。

みなさん健康でいてください。





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Last updated  2007/08/31 11:41:33 PM
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