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カテゴリ:雑感
難解な素材を難解にしか語れない人は、ふつうの専門家にしかなれない(それが悪いというわけではまったくない)。 読者に愉しんでもらうサービス精神がなければ、一般の人にも愉しんでもらえて、なるほどためになるなと思ってもらえる物書きにはなれない。 他方、読者ウケさえよければよいとばかりに、いい加減なことばかり書き連ねれば、売れる本はいくらでも書ける。しかし、知的栄養どころか、知的に有害な物質を公刊することにもなりかねない。 それを僕と池田先生の間では「悪魔に魂を売る」と呼んでいる。悪魔に魂を売れば、その分お金は儲かる。そんなことはいくらでもできるが、そんなことをするために本を書く時間も、つもりもない。 そもそも、我々はお金を稼ぎたくて本を書いているわけではない。もちろん、プロとしての仕事をするためにも、それなりの報酬はいただくし、本が売れれば嬉しいけど、それは我々の設定したルール(美学)上においての話だ。 そもそもお金を稼ぎたいなら、研究者になどならないし、本など書かないで、他の儲かる仕事に精を出すに違いない。 資本主義社会は、お金をベースに廻っていく社会だ。 だから、視聴率至上主義になるのもある程度仕方がない。ほっておけばそうなるのが、資本主義の負の側面なのだ。といっても、正の側面がああるから、淘汰されることはないわけだが。 しかし、資本主義社会だからといって、それに従っていれば幸せになれるというわけではない。人間として生きる上で大事にすべきことと、資本主義は関係ない。 お金はないと困る。学生時代、電気も止められ、水も止めらたことのある僕はそれは痛いほどわかる。だから正直ある程度のお金は欲しい。 しかし、本当に大事なことはそこにはない。そして、多くの場合それを見失ってしまいがちだ。 お金に目がくらむ人を思う時、いつもイメージに浮かぶのは、「大金にしがみつきながら水没して死んでいく人間」だ。それは極端な例ではあるが、同じようにして死んでいく人がどれだけいるかを考えればそれはわかるだろう。 お金を稼ぐことはたいへんだが、お金(やそれに直結する評判、視聴率といったもの)に惑わされないことの方が遙かに難しいのではないだろうか。 欲望に駆られてアクセルを踏むより、得するかもしれないところでブレーキを踏む方がずっとずっと難しいと僕は思う。 アクセルの踏み方を教える人はたくさんいるが、適切なブレーキの踏み方を教えてくれる人はあまりいない。 しかし、幸せに生きる一つのコツは「足るを知る」だといったことをある素敵な人がいっていたが、まさにその通りだと思う。 それを実現するためにはいつ、どのぐらいブレーキを踏むかを知ることは幸せに生きるために欠かせないことなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/09/30 02:39:57 PM
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