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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/10/16
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カテゴリ:教育
亀田一家の反則行為などが問題になっている。

亀田一家をああいう風にしてしまったのはメディアだ。そしてメディアは僕ら大衆の欲望を反映している。つまり「亀田一家」を生み出したのは僕らの欲望なのだ。

本当の問題は、糾弾している人のほとんどがこのことに気づいていない、ということではないだろうか。



僕も試合をテレビでみていたが、確かに亀田一家は批判されて然るべきことをやった。11ラウンドまでは、僕は亀田大君なかなかやるじゃないと思っていた。ガードを固めて前に突進していくだけのスタイルだから、予想通り勝ち目はなかったけど、彼は強いと称されるチャンピオン内藤相手に、最終ラウンドまで戦っていた。

ほんとに弱かったら、途中で倒されているだろう。

だから、亀田大君は言うほど強くはないけど、弱くはないじゃないと思っていたのだ。

しかし、12ラウンドに入ったら投げやりになったのか、命令が出されたのか、わざと反則負けになろうとしたのかは知らないが、あのレスリング行為をやってしまったわけだ。

その後の顛末は知っての通り。史郎氏はライセンス無期限停止。大君は1年間のライセンス停止。長兄は厳重戒告処分。

「国民の期待」に応えたのは、内藤選手というよりも、亀田一家だったといってもいいかもしれない。



彼らはスポーツマンシップに反することをした。ボクシングを、世界戦を冒涜するようなことをしてしまった。

その処罰は甘んじて受けるしかないだろう。

彼らの行為は残念という他ない。しかし、僕は彼らを糾弾する気にはどうしてもなれない。

なぜか?

冒頭で述べたように、いわゆる「亀田一家」を生み出したのはTBSをはじめとするマスコミじゃないかと思うからだ。

そしてマスコミは、他でもない僕らの欲望を食らって生きている怪物なのだ。

僕らの欲望のあり方や、動きを誰よりも敏感に察知し、それを増長させ、それをエネルギーに駆動するシステムなのだ。

だから、「亀田一家」は、僕ら一般大衆が生み出した怪物の子どもなのだと思う。



確かに反則行為をしたのは彼らだ。だから処罰は受ける必要がある。

しかし、一片の憐憫の情もなく、彼らを糾弾できる人は、このことをまったくわかっていないナイーブな人だと言わねばならない。

むしろ、そういう人達の欲望を吸収して、生みだされたのが「亀田一家」だといってもいい。

キングコングの西野が、「切腹コールをした人は亀田大毅と同レベル」といったらしいが、僕なりにいえば「「切腹コールをした人は亀田一家を生み出した欲望の持ち主」といえる。

いわば、自分が生み、育てた子どもを糾弾しているのに等しい。

ナイーブに糾弾している人達に対する違和感を感じている人は案外多いのではないかと思っているが、その理由は、こうした循環構造に直観的に気づいているからではないだろうか。

テレビをみてみると、今回は、そのことがわかっている人も少なくないようで、一片の憐れみを抱きながらコメントしている人がいて少し安心した。内藤選手も必要最低限の批判しかせず、もうこの問題は終わりと言っているのは、彼が大人だということだけじゃなく、きっと亀田一家はマスコミの犠牲者だとどこかでわかっているからだと思う。

みのもんたはかつてはさんざん持ち上げていたくせに、掌を返したように糾弾していて、呆れてしまった。ヤツは一般大衆の欲望が高密度に凝縮された存在なのだ。だから人相がすこぶる悪いのだ。



処分が甘いとかとことん糾弾できる人は、自分は絶対そうはならないと思っているに違いない。

しかし、それは「今の自分が」その立場になったらというナイーブな想像の域を出ていない。

もっと、時間軸を入れて、発達的に考えてみる必要がある。

生意気盛りの中学生ぐらいの頃から、世間で騒がれ始める。マスコミでどんどん取り上げる。過激な発言をすればするほどマスコミは寄ってきてお金が稼げる。周りに注意してくれる人はいない。それなりに練習もしているし、実力も上がっている。弱い対戦相手と巧みにマッチメイクされて、連戦連勝。

こんな環境にいたら、僕も自分のパンチは宇宙一だと思ってしまうかもしれない。

長兄は一度叩かれたこともあってちょっと大人の顔になったが、次男はそういう挫折経験がまったくない。あの顔は中2のそれそのものだと思う。

僕にも中2の頃があったし、誰にでもそういう勘違いしている時期はあったはずだ。けど、彼はそこで成長が止まってしまったのだ。ああいう環境に置かれたら誰だってそうなる可能性はあると僕は思う。試合中の彼のふてくされたような顔をみて、僕は可哀想だなと思った。

彼をそうさせたのは、父親の要因は大きいかもしれないが、それを含めて調子に乗らせたのは、マスコミであり、それを駆動させている僕らの欲望なのだ。

マスコミの餌食になるのは、別に亀田一家じゃなくても良かったのだ。「○○一家」でも「××一家」でも何でもよかったのだ。


実際、次のターゲットは生産されるに違いない。

今回の騒動で一番、ほっとしている人達は誰かといえば、相撲協会だろう。

新たな国民的ターゲットが、現れてくれたから。相撲協会にとっては亀田一家はまさに救世主だったに違いない(あるいは「エリカ様」もおかげで比較的短期間の批判で済んだと思っているかもしれない)。

相撲協会が叩かれていたとき、助かったと思った人は朝青龍だろう。

ちなみに、朝青龍事件(8月)のとき、実はすでに力士リンチ事件(6月)は発覚していたのだが、タチの悪いマスコミは、その事件を無いかのように扱い、ひたすら朝青龍を叩いていた。

そして朝青龍がモンゴルに帰って、ターゲットがなくなったときに、はじめてその事件知ったかのように力士リンチ事件を取り上げて、「尊い命が失われました」なんて言い出す始末。

「叩く相手いなくなっちゃいましたね。次のターゲット誰にします?」「うーん、なんかない?」「そういや、力士リンチ事件ってのはありますぜ」「お、それはいいじゃない、次はそれでいこう」

こんな会話が聞こえてくるかのようだ。

こうしたことからも、マスコミは、尊い人命なんてものには関心がなくて、ひたすら僕ら一般大衆欲望に関心があるということがよくわかる。

その欲望にかなう番組を作れば視聴率も稼げるし、スポンサーもついてがっぽがっぽお金が入ってくるから当然といえば当然だ。


たぶん、これからも次々と「生け贄」は生産されるだろう。

じゃあどうすればよいか?

次から次へと「生け贄」が出ないようにするには、「亀田一家」のような存在を生み出しているマスコミを増長させているのは、僕らの欲望のあり方だということに気づくことが必要不可欠だと僕は思う。

そして、僕らの欲望のあり方、方向性を変えていくことなしに、こうした問題を根本から解決する道筋が拓かれることはないだろう。




これは他でもない、僕ら自身の課題なのだ。




え、具体的にどうすればいいかですって?


そうですね。まずは、みのもんたのように下品な人間の出ている番組はみないようにする、と心に決めるのがいいかもしれませんね。








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Last updated  2007/10/17 06:21:53 PM


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