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カテゴリ:教育
発達心理学会のニューズレターに拙論が載っているのでコピーしておきます。
特に論文投稿で苦労している若手研究者に向けて書いたつもりです。 「諦めなければ必ずうまくいく」というのはウソですが、「諦めたらそこで終了」なのはホントウです。似ていてもウソとホントウは紙一重だったりします。 発達心理学会 News letter 2007年10月31日 第52号 pp.8-9 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「諦めたらそこで投稿終了だよ」(西條剛央) 「質的研究に基づく論文の投稿」について書いて欲しいと依頼をいただいたのですが、僕は数量的研究が2本ほど『発達心理学研究』に掲載していただいたことがあるぐらいで、質的研究が同誌に掲載されたことはありません。そのため「自分で良いのですか?他に適任の方がいるのでは?」と何度も確認したのですが「良い」ということなので書かせていただくことになりました。 今では質的研究の論文をいくつかの学会誌に掲載させていただいたりしていますが、本当のことを言えば、質的研究の論文執筆ではかなり苦労してきました。したがって,僕が今までの失敗体験から学んだことなどをお伝えすることで,少しでも質的研究を投稿する皆さんへのエールになればと思います。 査読者とのやり取りをする中で、一番痛感したのは、通常でさえテクストの提示に紙面を取られる質的研究を、審査者の先生方の加筆要請に応えながら、制限字数に収めることがいかに難しいかということです。僕が発達心に投稿した質的研究論文は、構造構成主義をメタ理論(OS)として自己物語論をソフトとして採用し、就職活動における自己アイデンティティの変化過程を捉える事例研究でした。何度か審査者とやり取りした結果、3名中2名にはほぼ納得していただけたようだったのですが、1人は、なかなか納得していただけないご様子でした。 この論文では「構造構成主義」「自己物語論」「構成主義」といった新たな枠組みをいくつか用いているため、審査者に「これらの概念について説明が必要である」と妥当な指摘を受けました。しかし、「紙面を増やしてはならない」という制約があり、その時点ではそうした難題を打開する能力もなかったために、見事にダブルバインドに陥ってしまいました。 僕は「構造構成主義を体系的に提示する著書がないため、説明すべきことが増えすぎるのではないか。それを公刊してから、それを引用しつつ説明すれば限られた誌面で説得できるのではないか」と名案(迷案)を思いついたため、当面『構造構成主義とは何か』(北大路書房)の執筆に専念することにしました。 何とか著書の公刊に漕ぎ着けた後、その論文を再投稿したところ、「再投稿期限を過ぎているため新規投稿なら受け付ける」という旨の通知がきました。是非もなく、「新規投稿でどうぞよろしくお願いします」と返事をしました。結果は一発で不採択でした。投稿者たるもの再投稿期限は厳守しなければならない、という(当然の)常識を身をもって学ぶことができました。 もうお蔵入りしてしまおうかなとも思ったのですが、「諦めたらそこで試合は終了だよ」という名著『スラムダンク』に出てくる安西先生の台詞を思い出し,諦めずに他の学会誌に投稿し続けました。すると、論文の主旨を踏まえた上で的確な指摘をいくつも受けましたが、幸いにも一ヶ月で採択されました。まさに「捨てる神あれば、拾う神あり」といったところでしょうか。 そうした多くの経験を経てこの度『ライブ講義 質的研究とは何か』(新曜社)を上呈させて頂く運びとなりました。これを駆使すれば、質的研究に突きつけられるさまざまな論難を無効化することが可能となりますので、論文を投稿する際に少しはお役に立てていただけるかもしれません。 論文を投稿することは、大学院生や若手研究者にとって業績を増やすという意味でも大事ですが、そうした過程で「説得的な文章を書く技量」は確実に上がっていきますし、学会における「常識」や「通説」「非明示的なルール」「作法」なども学ぶことができます。その意味では、論文の投稿経験それ自体が、学会(学界)をフィールドとしたフィールドワークの一種とも言えるでしょう。 また最近,『構造構成主義研究』(北大路書房)という新たな学術誌を公刊しました。やはり編集・査読するサイドになってみてはじめてわかることは少なくありません。そうすると,今さらながらに「あれはまずかったな」と反省したり、「もっとこうした方がよかった」と思うこともたくさんでてきます。 ですが、そうした思いゆえに、他者の「若気の至り」に対して寛容になれる部分もあるようです。人間は、できるようになると、できなかった頃の自分はすっかり忘れてしまいがちです。歩けなかった頃の自分など覚えていないのです。しかし、最初から歩ける人間がいないように、最初から学会の作法を十分に身につけ、“査読者に優しい論文”を書ける人もいないのです。僕はそのことを忘れないように、ときどき「我が身のいたらなさ」を振り返りつつ自戒しています。 ここで言いたいことは、論文を投稿する中で頂いた多くの貴重なコメントだけでなく、自分自身の「若気の至り」とでもいうような数多くの失敗も、すべてみえない財産になっているということです。(質的)研究を学会誌に掲載に漕ぎ着けるまでの過程では、苦労も多いと思いますが、「志」を持ち続ければ、すべての出来事に「意味」を見出して歩みを進めることができるかもしれません。僕はそう思ってぼちぼち頑張っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/11/06 05:51:02 PM
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