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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2007/12/04
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カテゴリ:教育
国際学力調査の結果、「理科に関心」最下位というニュースが流れていた。


僕は特に理科が好きだとか思ったことはない(嫌いと思ったこともないが)。

虫取りはやたらしていた。が、それも池田先生のように全種類を集めたりといった高度な関心をもっていたわけではない。

ただ、僕の中ではできるだけ大きいバッタやカマキリをできるだけ多く捕まえる、という単純な遊びでしかなかった。

その頃芽生えた疑問は、雨が降ったとき虫は何をしているのだろう?というものだった。特に台風がきて大雨が降ったときアリの巣の中のアリはなぜ溺れて全滅したりしないのか? これは未だによくわかっていない。



顕微鏡でみた花粉は超綺麗だった。

しかし、それだけのことだった。

理科とは、なにをしているものなのか?

僕にはそれが全然わからなかったのだ。

だからひまわりやへちまを育てても、「うわー、すげー大きくなるなあ」という感想以上のものはなかった。



しかし、今から思えば理科の本質に迫るようなことをしていた(ことに最近気がついた。というか思い出した)。

あれは小学校3年生のときだ。

孫入先生という新任の先生が担任になった。

孫入先生はかっこよく(昔の阿部寛のような感じ)、体育会系でバク転ができて足が超速く、性格もさわやかだったので、子ども達のヒーローだった(今から思えば大人の女性にももてたにちがいない。彼と釣り合うような女の先生はいなかったが)。

僕もとても好きな先生だったので、仲の良い友達(西村君)と一人暮らししているアパートまで遊びに行ったことがある。玄関にスキー板が立てかけてあったのが妙にかっこよかった。




さて、あるとき僕は「なぜ夏は暑く、冬は寒いのか?」という疑問に取り憑かれた。

そして自分なりに考えた。

その答えは「地球が太陽の周りを回っていて、夏は地球が太陽に近づき、冬は太陽から遠ざかるから」というものだった。

この「理論」は――もちろん当時は「理論」などというコトバは知らなかったのだが――とても正しいものに思えた。

今持っているコトバでいえば、「うまく現象を説明できる構造(理論)」だったのだ。

「これが正解に間違いない」と確信した。




そしてこのことを孫入先生に伝えたのだ。おそらく得意満面だったに違いない。

すると意外なことに、孫入先生の反応は「うーん、」といった微妙なものだった。

あれ、正解じゃないのか、おかしいなあ、でもこれでいいはずだと思っていたのだが、その曖昧な反応はずっと気になっていた。



そうこうしているうちにいつか忘れたが、理科の授業で「地軸の傾き説」を習ったときに、僕の疑問は解けた。

なるほど、僕の理屈では、北半球と南半球の季節が逆転していることや赤道付近は常夏であることが説明がつかない。

僕の「太陽からの距離理論」より「地軸の傾き理論」の方が、南北両半球を含めて「現象」をじょうずに説明していたのだ。





しかし、その理論を発明した頃の僕は「北半球と南半球の季節が逆転していること」なんてことは知らなかった。

あるときテレビでオーストラリアという南半球の国は、クリスマスの時夏だと知ってびっくりしたのだが、その理論を考えた当時、それは立ち現れていなかった。

つまり、日本が冬のときは地球全部が冬だと思っていた。



ゆえに「太陽からの距離理論」は、その時点の「現象」を100%上手に説明できていた。

だから、僕はそれが正しいに違いないと思ったのだ。

その時点において、その確信は基本的に間違ってはいなかったと思う。

もちろん、その後現象が変わることによって間違っていると気づいたのだが、それは事後的に言いうることであり、その時点での確信は間違ってはいなかったのだ

それが間違いだというならば、僕らは新たに現象してきたことによって、今「正しい」とされる理論も常に覆される可能性はある。


「科学とは現象を上手に説明する構造の追求である」とはこういうことなんです。


ということを、先日筑波大学で構造構成主義の講演をしたときにお話させていただいた(その後の懇親会も含めて、大変有意義な時間でした関係者の皆様ありがとうございます)。







このように、理科は科学と理論作りに密接に関係している。

これらの関係は構造主義科学論(構造構成主義)というメタ理論によってより上手に説明できるのだ。

つまり、理科で“やろうとしていること”を伝えることができる。

そしてそれを知った今となっては、理科はとても愉しいことだと思えるようになった。

世界の理を探求する理科がおもしろくないわけがない。ただ、それをうまく伝えるための科目がないのだろう。



そういうことを教えるときに、科学論は役に立つのだ。それは構造主義科学論が科学論のための科学論ではないことによっていると思う。

つまり学校教育でも役に立つのだ。

義務教育に「原理」という科目を導入すれば、あらゆる科目が「やろうとしていることの意味」を教えることができると思う。

『研究以前のモンダイ』ならず、『教育以前のモンダイ』を教える科目だ(あ、教育以前のモンダイという名の新書はアリかも)。

実際役に立つと思うし、日本の教育水準の飛躍的上昇につながるに違いない。

とはいえ、僕が生きている間は難しいだろうな。

でも、「諦めたらそこで試合終了」と安西先生が言ってましたので、自分にできる範囲でボチボチがんばっていこうと思います。


未来は何が起こるかわからないから未来なんだしね。








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Last updated  2007/12/06 07:38:30 PM


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