カテゴリ:教育
『エジソンの母』第二話もおもしろかった。
このドラマは「子どもの視点」と「大人の視点」を軸に編まれている、とみることもできる。 子どもは、世界を知りたいという関心に沿って、考え、探求し、世界を内側から構造化しようとしていく。 大人は、世界で生きる術を教えるという自らの関心から既存の構造やルールを外側から教えようとする。 子どもは、「まずは既存の構造を覚える」「ルールに従う」という「大人の知恵」を学ぶにつれて、元々もっていた探求しようとする気持ちや世界を知る楽しさを忘れていく。 既存の構造(知見)は、子ども的探求の結果、構成されたものだということは大人は忘れがちだが、偉大な発明をする人は、少なくとも子ども的な要素をもっていなければならない。 賢人君は「なぜ鳥は空を飛べるのに、人間には飛べないの?」という問いに取り憑かれ、本を読んだりしつつ、空を飛ぶ方法を探る。そして友達と一緒にガスを吸い込もうとして幸い未遂で済んだが、ついには「やってみなければわかんないじゃん」といって賢人くんは三階から飛び降りた。 あれがたまたま木の上に落ちたから無事だったようなものの、死んでいてもおかしくない。 そして実際、賢人くんのような天才は、多くの場合発達の過程で死んでいったのだと思う。 子どもは世界で生きるに関心がなく(守られているがゆえにそれが当たり前だと思っている)、世界を探求するために素朴に歩みを進める。 * たまたま周囲の人に守られ、幸運にも恵まれた異才が生き残って、天才と呼ばれることがあるということなのだろうが、逆は真ならずである。 というのも、「天才」とは、僕の定義によると広義には、「ふつうの人ができないことをできる人」のことであり、狭義には「誰もできなかった偉業を易々と達成した人」のことである。 つまり、天才とは「誰もできないことができた」という「結果」に対するのことである以上、何も成し遂げなかった変わった人はただの風変わりな人(変人)ということになる。 さて、ここで重要なことは、世界は常に変化し、特に現在は変化のスピードがかつてないほど速いため、既存の構造は使えないことが多いということだ。 そうしたときには、その都度、自分の頭で考えて、構造を生み出していく力がなければならない。 つまりどうしても天才の力を必要とする。 しかし、天才は変人の特殊系なので、そのためには多くの変人をも排除しない社会でなければならない。 とはいえ、賢人くんのように、空を飛べるかどうかはやってみなければわからないからといって飛び降りて死んでしまっては元も子もないので、この世界で生きていく必要最低限の術は教えなければならない。 * 賢人君の「どうして?」に対して、先生(伊東美咲)は「どうして空を飛びたいの?」と「どうして返し」をする。 賢人君は「空を飛んでいって、僕のために働いているお母さんを空から眺めていたんだ」という。 それを聞いた学年主任の松下由樹は、「好奇心は大事よ。でもね、あなたは逆のことをやっているのよ。お母さんがあなたがそういうことをするせいで、何度人に頭を下げたと思っているの。周りの人の気持ちも考えなさい」と諭す。 何事にも動じなかった賢人君は、このときはじめてえんえんと泣いた。 * 「やってみなければわからない」、これはリスクマネジメントという視点がないと、とても危険なコトバになる。 賢人くんがこの視点を身につけていなたらば、二階から飛び降りる前に、まずは1m、2mぐらいの高さから飛び降りたかもしれない。 ところで、なぜ子どもは危険をいとわないのだろう? それはいくつかの要因が考えられるが、「世界に対する根本的な信頼」があるだろう。 大人に守られているため、本当に痛い目にあっていないためだ。 それと基本的には今を生きるため、「未来」(将来)という観念に乏しいということもあるだろう。「将来」を考えなければ、「歩けなくなったらどうしよう」とか心配することはない。 大人は世界で生きる厳しさを知っており、そんな中で大切な人を守っていかなければならないため、リスクマネジメントに心を砕き、「将来」のために備えをする。もっとも、そのためつい今を生きるということを忘れてしまいがちではある。 本来は、「今を愉しく生きるために」、最低限のリスクマネジメントやある程度の将来に対する備えをするのだ。 「リスクマネジメントや将来の備えをするために」生きているわけではない。 子どもの心に、大人の方法を備えることが、愉しくしなやかに生きていくコツなのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/02/15 06:09:50 PM
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