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カテゴリ:雑感
翌日、ひょんなことから県立の精神科医療センターに行くことに。
遡ること前日。 pieniの講演に、ナカガワさんという作業療法士の方がこられていた。作業療法士の方で直接面識があるのは、京極真さんだけなので(サンプルが偏っている(笑))、しかし京極さんのおかげで親近感のある職業だったので、まさか作業療法士の人がカフェにいるとは思わず、なんとなく嬉しかった。 そのナカガワさんが懇親会のときに、どこか申し訳なさそうに「上司が会いたいから明日施設にきていただけないかとおっしゃっているのですが、」と言い、僕は「いいですよ」と二つ返事で快諾させていただいた。あとから聞くに、電話で上司から指令が出たとのこと。 * ということで、施設におじゃますることになり、上司のやすぎさんとナカガワさんに迎えに来ていただく。やすぎさんは一言でいうと「本物」のオーラを纏っている人で、ひとめで特にわけもなく気に入ってしまった。 どういう経緯でこういうことになったのか、お話を聞いているとなんとも不思議な縁の連鎖でこういうことになったことがわかった。 まずやすぎさんが同じ作業療法士の京極さんに注目していたところ、師匠が同じことがわかり、論文を読んでいたら西條というのがやたらでてくるので調べていたら、構造構成主義が出てきて『看護学雑誌』の特集号を取り寄せてみたら、「これは自分のやってきた実践そのものだ!」となったらしい。 それで施設の皆さんに、構造構成主義の考えを広めてくださり、実際、臨床心理士のまつばらさんは前日の学会にこられていたとのこと。他方、学会の直前に「そういえばpieniでの講演については書いてなかったな」と思いついてそのことをブログで告知しておいたのだけど、海外の仕事から戻ってきたナカガワさんが当日の夕方にそれをみつけてカフェにくることにしたとのこと。 奇遇というか運命というか、縁があったということなのだろう。 構造構成主義について質問などをしていただき、いろいろお話をさえていただいた後、施設を案内していただいた。 やすぎさんをはじめとした施設のスタッフはみんな感じがよい人ばかりだった。きっと八杉さんが良い人を集めてきたんだろう、と思った。その週末に東京に会議でくる、ということだったので、京極さんを電話で紹介し、東京で会うことになった。 施設のスタッフの皆さんに見送られて岡山を後にした。 岡山ではいい人ばかりと出会ったため、僕の中に「岡山はいい人ばかりである」という構造が構成された。 * もちろん、そういう人が集まっている場所に行ったからこそ、そう思ったんだろうけど、たぶんそれだけじゃなくて、風土のようなものはあって「岡山はいい人が多い」ということになっているんじゃないか、と思った。天候を聞いてみたところ、日本で一番雨の日が少なく、晴れている日が多いとのことで、妙に納得した。 もちろん、どこにもいろいろな人はいるのだけど、最近読んでいる司馬遼太郎の『坂の上の雲』などにもよくこういうことは書いてあるが、やはり風土とか県民性というものにささえられる一定の性格傾向みたいなものはあると僕は思う。 短い間だったけど多くの気持ちのよい人達と出会い、後ろ髪引かれる思いだったが帰路につく。 帰りの新幹線では、行くとき品川で買った『楊令伝』の4巻を読んだ。 * その週末、高田馬場で東京にこられたやすぎさんと京極さんと3人で飲むことに。京極さんとはいつもスカイプなどで話しているからそんな気はしなかったが、飲むのは実に1年ぶりぐらい。 いろいろ話を聞くうちに、やすぎさんは、卓越した直観力と甚大な包容力を持つ「天才臨床家」というべき人であることがはっきりわかった。岡山でお会いしたときは、優しさと戦場で生き抜いてきたような印象を併せ持つ不思議な人だなあと思ったが、いろいろ話をしているうちに、やはり相当な現場を超えてきていることなどがわかり、腑に落ちた。 しかし、そこに悲壮感のようなものはまったくなく、むしろ爆笑しながらいろんな話を聞いた。 やすぎさん一言でいえば、構造構成主義を実践現場で体現してこられた方であり、もっとも構造構成主義的実践者そのものと言ってよい人だと思う。 ほとんど聞いたこともないような、しかし医療現場において極めて重要な話がたくさん創発したので、構造構成主義研究3号の特集は、この三人で鼎談をすることにした(乞うご期待)。 構造構成主義は、時代的な流れと多くのつながりの中から生まれ、多くの奇遇と縁と志をもつ人との出会うなかで成長していっている。 僕はこれからも「縁」や「運命」と呼ばれるような、目に見えないものを大事にしていきたいとあらためて思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/03/13 08:34:35 PM
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