カテゴリ:漫画
『PLUTO』の最終巻(8巻)が出た。 手塚治虫の原作を浦沢直樹がリメイクしたものだ。 浦沢作品といえば,巷では『モンスター』とか『21世紀少年』がもてはやされているが,僕はあれは「作品」としては駄作だと思っている。 商業的には成功しているけども,商業的に成功するために「とにかくなぞめかせる」「オープンエンドで終わらせる」「なぜがなぞを呼ぶ」という「構造」を乱用して,結果「物語」として破綻してしまった。 だから僕はあれを商品としては評価するけども,作品としては駄作だといわざるをえない(ファンの人すいません)。 悪魔に魂を売るという言葉があるが,あれは経済(商業)に職人の魂を売ってしまったように僕には見えた。 それらは確かに最初はおもしろかったけども,そのうちそのみえみえの「構造」の連鎖に嫌気がさしたものだ。ずいぶんと,読者をバカにするもんだなあと思った。 浦沢直樹もそれはわかってんたんじゃないかと思う。 だからというわけじゃないが,『PLUTO』が出たとき,これはそういうものではなく,物語として,作品として,良いものを書きたい,彼は手塚治虫の作品を通して魂を取り戻そうとしているのではないか,と直観的に(勝手に)思った。 1巻からそのぐらいの質の高いものだったし(ノース二号には泣いた),手塚治虫原作をそのような商業的な商品に堕すことは職人の血が流れている限り,できないだろうと思ったのだ。 逆に,もしこの『PLUTO』を,『モンスター』とか『21世紀少年』と同じく商品にしてしまったならば,浦沢直樹は終わりだなと思っていた。 しかしやはり,浦沢は『PLUTO』を,見事に原作以上の作品へと昇華してみせた。 手塚治虫はアトムが嫌いだったらしい。それは「正しさ」だけでできていたからだ。 手塚治虫は人間は多面的で複雑で善悪愛憎混ざっているものとして捉えていたため,複雑なキャラクターを愛したらしい。 だから,たぶん手塚治虫がこの『PLUTO』を読んだら,アトムを好きになると思う。 アトムは一度死ぬことで,怒りと哀しみに満ちながらも,優しい嘘をつき,理由もわからず涙が流れる,まさに「人間的 あまりに人間的」な心をもつ存在として甦った。 浦沢直樹は矛盾を無矛盾のロボットに芽生えさせることにより,完璧な“物語”を完成させたのだ。 これは浦沢直樹の最高傑作として歴史にその名を刻むに違いない,と僕は思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/07/03 04:01:41 AM
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