カテゴリ:雑感
以下の記事にある「書籍バブル」について書いてみたい。
「仏文学者の内田樹さん「スト」宣言に賛否 売れっ子新刊ラッシュに待った」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100830-00000501-san-ent これがそのきかっけとなった書店店長さんのブログ。率直な,ありそうでなかった意見。ある種のタブーだったのだろう。 http://www.ikkojin.net/blog/blog6/post-2.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ いま書店界で一番話題なのが、 いつ「池上バブル」が弾けるかということです。 最近の書店バブルに「茂木バブル」「勝間バブル」があります。 書店の中の、新刊台やらランキング台やらフェア台やら いたるところに露出を増やし、その露出がゆえに書店員にあきられ、 また出版点数が多いためにお客さんに選択ばかりを強い、 結果弾けて身の丈に戻っていくのが書店「バブル」です。 「茂木バブル」は出版点数が増えるにつれて1冊1冊のつくりが スピード重視で雑になり、文字の大きさが大きくなり、 内容が薄くなってきて、でもそれに対して書店での露出は増え、 そして点数が多いことでお客さんが何を買っていいか分からなくなり、 バブルが弾けました。 「勝間バブル」ははじめの切れ味のいい論旨が、 出版点数を重ねるにつれて人生論や精神論のワールドに入り、 途中「結局、女はキレイが勝ち。」などどう売ったらいいか書店界が 困る迷走の末、対談のような企画ものが増え、 結果飽和状態になり、弾けました。 書店「バブル」になった著者は、自分の持っている知識なり、 考え方が他の人の役に立てばとの思いで本を出すのだと思うのですが、 そうであるならばなぜ出版点数を重ねる度に、 「なんで、こんなにまでして出版すんの?」 と悲しくなるような本を出すのでしょう。 すべて「バブル」という空気のせいだと思います。 このクラスの人にお金だけで動く人はいないと思います。 そうでなくてせっかく時代の流れがきて、要請があるのだから、 全力で応えようという気持ちなのだと思います。 けれどそれが結果、本の出来に影響を与え、 つまり質を落とし消費しつくされて、 著者本人にまで蝕んでいくことは、悲しくなります。 著者もそれが分からなくなってしまうほど、 「売れる」というのは怖い世界なのかも知れません。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 内田樹さんさすがだなあと思った。 自ら「内田バブル」などと認め,即行動に移すというったことはなかなかできるものではない。 正直いうと,僕も内田樹さん,茂木健一郎さんといった売れっ子(勝間和代さんの本はほとんど読んだことがない)の書籍に関して,質がどんどん低下していっているのを残念に思っていた一人だ。 明らかに,売れっ子になる前の「初期」の本の方が,質が高く,また洗練した痕跡がよくわかる「良書」だったと思う。 内田さんのいうように編集者による「泣き落とし」ということもあるだろうけど,それだけじゃないと思う。やはり何かでみえなくなっていたのだろう。あるいは「強者」になりすぎてしまい,誰も本当のことを言ってくれなくなったのだろう。 これほどの賢人達が,そうなってしまうのだから,出せば出すほど売れる。お金が入る。出版社の欲望の対象となり,どんどん依頼はくる。泣き落としや接待によって断れなくなる,といった売れっ子ならではの難しさは想像以上なのだろう。 かくいう僕も内田さんに『現代のエスプリ:構造構成主義の展開??21世紀の思想のあり方』の執筆依頼をしたことがあるので,内田さんを消費した一人といってよい。この場を借りてお詫び致します(届かないとは思うけども)。すいませんでした。でもありがとうございました!(出版社の気持ちも代弁して)。 本屋さんの店長のブログをみて即実行に移したのは,やはり内田さんが心のどこかで気づいていたからだろう。それにつけても,こうしたことに気づき実際にブレーキをかけるなんてことはなかなかできることではない。 欲望を加速させ,アクセルを踏むのは比較的簡単だが,ブレーキをかけることは本当に難しいことだからだ。特に売れまくっているときに??書けば書くほどに何百万,何千万という単位のお金が入ってくることを想像したらわかりやすい??,ブレーキをかけることは至難の業といってよい。 そうしたことの難しさは茂木さんや勝間さんの発言をみればわかる。 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/ http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2010/08/post-f4b3.html 茂木さんや勝間さんは「コントロールできない」と言っていたが,それは「依頼してくる相手」の話であって,内田さんは自分について言っている。つまりは,「コントロールできない」というのは,自分には「コントロールする気はない」ということだろう。 仕事を引き受けるのは自分なのだから,内田さんのように断ればいいだけだ。 そもそも「バブル」に乗って,消費尽くされるのであれば,主導権をもたないそこらのアイドルと何ら変わらない(←言い過ぎ)。 池田清彦先生は,テレビに出まくっているタレント学者の話になると,「主導権を自覚的にもたないとテレビやメディアにすぐに消費されてしまうから,テレビに出たい,とかではなく,あくまでも自分が主導権をもたなければいけない。自分が気に入らないなら出ないという意志を持つ必要がある」と常々言っている。 だから池田清彦先生はテレビの依頼はずっと断っていたのだ。しかし,どんなに良い本を書いても,読まれなければ世の中は変えられない。養老先生やにそのように諭され,奥さんにも少しぐらい出てもよいのではと言われ(僕も同様に進言させていただいた),ここ最近ようやくテレビに出るようになった。 池田先生のすごいところは,常に自分をメタレベルで見定める視点を持っていることだ。自分を見失わない。テレビなんて要請がなければ出ない,その方が楽だからと常々言っている(そして実際,一部の番組を除いて出演依頼があっても断っている)。 この前も学会の講演後の懇親会で「短い時間に大きな収入がある講演とか安易な依頼ばかり受けているとダメになるから,たまに受けるぐらいにしなければいけない。仕事は選ばなければいけない」と僕と京極真君に話していた。 また本の執筆に関しても,「1年前ぐらいに書いた原稿だから,最新の生物学の知見は進んでいるから最新の動向を確認して,修正したり加筆したりしなければいけないから,今書き直しているんだ」「英語で授業するようになってから,英文ジャーナルを一切辞書無しでスラスラ読めるようになったよ」と嬉しそうにおっしゃっていた。 池田先生もまごうことなき売れっ子ながら,人生論的なものは自分の考えを書けばよいが,専門的な本,学術的な書籍については厳密性を担保した上でわかりやすく書くという姿勢を堅持した上で,質を落とすことなく出版し続けている。 そうした背中を見せてくれながら,さりげない会話の中で僕らを導いてくれる天才老師,池田先生にはいくら感謝してもしたりない。 僕も依頼がないわけではない。いくつかの出版社から,僕の書いたものはぜんぶ出したいという有難いオファーをいただいている(無論,専門書だから部数などは売れっ子とは比べものにならないが)。 まただいぶ前になるが,某学術系の大手出版社から,僕が監修者となって1年に4冊,10年で40冊のシリーズを刊行したいと言われたこともある(結局その企画は時間がとれず/時節があわずにペンディングになったままだ。あるいは立ち消えになったかもしれないがそれはそれで仕方がない)。 僕は筆が遅いのでもっと執筆スピードが速ければといつも思う。ただ,著者としての学的信頼を失ってまで,一時期にたくさんの本を出したいとは思わない。だから自分のなかで全身全霊でゴーサインが出なければ,結果として途中で立ち消えになってもしょうがないと思っている。 出版社には申し訳ないようだけど,ヘンな物を出して信頼を失うのは出版社も同じだから,そうした慎重さは結果的に出版社のためにもなっていると思う。 厳密に書く理論書だけがよいと言っているのではまったくない。出版数が多いだけで内容が薄いとか質が低いとかいうのも違うと思う。人それぞれペースやスピードやスタイルは違うから,量でいちがいにどうこういうのはおかしいと思う。 そうではなく,同じことを質を下げて言っているだけの本を大量に複製したり,事実確認を怠ることで明らかな事実誤認が散見されたり,同じ本の中で明らかに矛盾していたりすることをそのまま「出版」するのであれば,ブログやネット媒体との差異化という点でも書籍の「信頼性」は失われ,ただの消費尽くされるものにしかならないように思うのだ。 書籍のメリットは,「信頼性の高さ」にあると思う。それが失われたならば,書籍が生き延びる道はますます狭くなるだろう。特に選書や新書を含む学術的なものはそれが「命」であり「魂」といってよい。 池田先生と僕との間では,安易に本を作っては出版することを「悪魔に魂を売る」と呼んでいる。悪魔を「資本主義」と読み替えても「欲望」と読み替えてもよい。 出版社だって,今の状況は何かヘンだと思っているに違いない。どんどん新しい本を「量産」して,それらがほとんど書店に並べられることもなく(平積みされることもなく),したがって充分な販売チャンスもなく,どんどん循環していくだけなのだから。 売れっ子の本だけが,内容の如何にかかわらず,平積みスペースを埋め尽くし,その結果,魂を込めて書いた非売れっ子の「労作」「良書」は販売の機会すら与えられずに消えていく。 出版社は,その悪循環命のために,大変な時間と労力をかけている。出版社も書き手もみんな何かがおかしいと思いながらそれを止められずにいる。 その意味でも,まごうことなき売れっ子の代表者である内田さんが,こうした発言をされたのは,この閉塞状況に,一石(巨石)を投じるという意味でおおきな意義があると僕は思う。 極論すれば,「売れっ子」になった人は,今さら10冊,20冊同じ内容の本を出しても,心の中ではみんな「また同じ内容薄めて書いてら」と思うだけだ。怖ろしいことに,見る目がある人は実は誰も評価していないのだ。 10冊の薄めた本を出すよりも,1冊の「力作」を出す方が評価されるということは少なくない。 また「初期」のような「力作」を読んでみたいものだ。 以上,自戒を込めて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010/08/31 01:01:21 AM
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