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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2010/09/02
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カテゴリ:政治・経済
(選挙後に書いてアップしていなかった日記)

選挙についていろいろな人がいろいろなことを言っているのでぼくもいくつか感じていることを書いてみようと思う。

僕は特定の党が好きとか嫌いとか,特に支持している政党とかそういうのはない。

ただ一つだけ見定めていることは,財政破綻につながるようなことをする党は,他にどんなによい政策をしてようと基本的には支持しない,ということ。

そういう政党,政治家を支持したら国は不幸にしかならない。

それは,どんなに良いところがあっても,現実的な制約(収入)を考慮せずに多額の借金をしてくる人や,暴力を振るう人と結婚したら不幸になるのと同じことだ。

だからその意味で全国家公務員の給料に匹敵するような子ども手当という名の親手当--実は将来の子ども達に借金を背負わせて親に小遣いを与える愚行の極み--といったばらまきをするような党はいかなる党であれ決して支持しないのである。





さて,昨年の7月に行われた『持続可能な社会をどう構想するか--構造構成主義研究4』に収録されている竹田青嗣・池田清彦との鼎談の中で,僕は次のように言っていた。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
竹田 自民党がこの10年間で小さい政府で経済効率を上げようとやってきた。はじめたときはそれなりの理由があったけれど,そろそろ方向転換が必要なんじゃないかと思う。その方向転換を新しく担う民主党が持っているかというと,あんまり持ってないね。

池田 全然持ってないね。

竹田 それが気になる。

西條 ただ,今(2009年7月選挙前の時点)の時代の空気は,自民党に対して諦めてますよね。このままではどうしようもないし,とりあえず変わるしかないかな,といった風潮に満ちているように思います。変わってみて,余計悪くなって,民主党のやり方ではダメだということが明らかになったときに,はじめて次のステージにいけるのかなと思っています。民主党のマニフェストは予算や借金といった現実的な制約をまったく考慮しているように思えないですが,一回大きく失敗しないとわからない。やらせてみて,失敗したときにはじめて,現実的な制約を踏まえた上で,目的に照らして有効な政策を打ち出していくという本質的な政治ゲームに移行できるのかもしれないなと。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



昨年の夏の選挙,今回の選挙とも大勢において予測は当たったといってよいだろう。

予測を当てるコツみたいなことがあるとすれば,些細なことには囚われずに,大きな流れだけを見ることだと思う。

そして自分の希望やこうなって欲しいという欲望を持たないことだ(予測を最も歪ませるのは欲望に他ならないため)。

そうすれば大局を見誤ること少なくなるだろう。







最近思うに,「世の中の考え方」(世論)というのは,人間の集合体(平均値)みたいなものだから,不器用な人間が一歩ずつ失敗をしながら一歩ずつ学び進歩していくというモデルがぴったりくるような気がしている。

だから,世論やそれを反映した政治水準は,そうしたよほど衝撃的なことがあったりしない限り,いきなり何段抜かしかで進歩したりはおそらくしない。

でも少しづつ学習していく。

たとえば,今回の選挙までに次のようなことは国民の多くの人がわかってきたように思う。

選挙を勝つことだけ考えてばらまきをするやつはダメだ。

タレントの知名度の高さを利用して選挙を勝つことだけ考えているやつはダメだ。

何でもかんでも反対ばかりする野党精神から抜け出れないやつはダメだ。


財源を考えずに,耳障りの良いことばかりいっている政党は与党にしてはいけない。



これはものすごい進歩といわねばならない。

政治家も国民の政治評価力の高まりを感じるから--その点についてだけは政治家は感度の高い人が集まっているはずだ--おのずとそうした政治になっていくだろうといった希望を僕はもっている。







それではこれからはどうなるだろうか。

野党時代の民主党がやっていたようにねじれを利用してすべてに反対して何も進ませないことにより,政府への国民の評価を下げさせて与党の座に返り咲くという方法が考えられる。

これは,自民党をはじめとする野党は恨み積年だろうからありそうな話だが,国民は「何でもかんでも反対ばかりする野党精神から抜け出れないやつはダメだ」という人が多数派になりつつあることを感じているだろうから,おそらく極端に反対ばかりはしないと思う。自分の首を絞めることになるためだ。

通してもよいようなどうでもよいところは通して,しかしここは絶対に通さないというところは通さない,ということがもっともありそうなことだ。建設的なふりをしつついじめるところはいじめる,といったところだろう。

法案ごとに部分的には連合を組んで通す,ということも行われるようになると思う。

ともあれ,何も進まないということはないと思う。

国民は真性ねじれの結果,何も進まなくなることを望んでいないからそのような戦略で与党に返り咲くことは難しいし,よほど景気が良くならない限り(国民の不満がある限り)与党の方が俄然不利なのだから,自然にやっていても大丈夫だと考えるだろう。





本質的に重要なことは,どこの党が政権をとるかではない。

国民の政治に関する見識や感度が高くなることだ。

おのずとそれに呼応して政治家のレベルも高くなる。



政治は国を運営する方法だ。

与党は国の政権を担う上での現実的制約があるため,否が応でもある程度似てくる(民主党や与党になったらかなり自民党と同じようなこともやりはじめた)。

構造構成主義の「方法の原理」によれば,方法とは(1)現実的制約(状況)の中で,(2)目的を達成するための手段として定義される。これはあらゆる方法に当てはまるというより,我々はそういうものを「方法」と呼んでいるだろうということである。

だからどの党もこの方法の原理の観点から,現実的制約を勘案しながら,目的を達成するためのより優れた政策を立案し,運営していくということをしていけば,おのずと妥当なところに収束していき,与党と野党の関係はより建設的なものになるだろう。

ただし,このステージに至るまでにはまだ時間はかかりそうだが,方法の原理が「常識」として義務教育で教えられるようになればこの実現は早まるだろう。

実際,杉並区ではそうした試みが行われていることを考えれば,実現するときは案外すーっと実現してしまうかもしれない。



政治は世論を反映する。だから政治を変える本質的な方法は経験と教育だ。

様々な苦い経験を重ねながら,一歩ずつ国民の政治リテラシー,見識眼を高めていくこと,それに尽きると思う。





『持続可能な社会をどう構想するか-構造構成主義研究4』では,そういった本質的なことが環境問題から経済,政治にいたるまで議論されていますので,ぜひみなさんにもお手にとって読んでもらえたらと思います。


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Last updated  2010/09/03 01:02:29 AM
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