カテゴリ:構造構成主義
世の中、ますますフクザツでメンドクサクなっている。それがイキニクサにつながっている。
みんな自由になろうとして不自由になっている。 他人の首を締めていたら自分の首だったという、そんなあべこべなことがおきているのがいまの世の中。不思議の国のアリスじゃないけど、ねじれた鏡のようなこの社会。 他人を蔑むことで、自分が幸せになるということはぜったいにない。 なぜなら他人を蔑んだら、蔑むに値するようなニンゲンだらけの不毛な世界でそのひと自身が生きなければならなくなるから。そんなに辛いことってないとおもう。 自分が「よい」と思うことを実行するのに、ほかのひとを蔑むひつようはない。そんなことはしなくても「よい」と思うことを実行することはできる。 蔑むことと反対することは違う。 もっとこうした方がよいと思うと主張することと、異なる考えを持つ人を蔑み罵倒することは違う。 心は平和な状態で反対意見をいうこともできるはずだ。そしてその方が相手に耳を傾けてもらえるはず。 罵倒に声に耳を傾ける人間はいない。自分ができないことは誰もできない。 みんなその中身は違くても,幸せにいきたいとおもっているはずだ。 幸せにいきたいなら、他人を蔑む心はできるだけもたないほうがいい。 誰もがその人なりに一生懸命生きている。情けは他人のためならず、というのはそういう意味もあるのだろう。 「唯一の正しさの箱」に入ってると、自分以外の「正しさ」は認められなくなる。違う考えを認められなくなる。 自分が正しいと思うたためには、自分の考え方以外は間違っていると思わなければいけなくなる。すると相手を蔑み、不毛な世界で生きなければならなくなる。 ゆえに幸せに生きれなくなる。 ではどうすればよいか。 自分は異なる考え方のひとを蔑む傾向があると思ったなら、「優劣の箱」「正しさの箱」「正義の箱」といったたぐいのメンタル箱に入っている可能性があるので、まずその箱を可視化して,その箱から出ると決意します。 もちろん「正しさの箱」に入っているからこそ,社会の明らかにおかしい出来事を変えていけるというよいところもたくさんある。 でもそういう傾向が強すぎると思ったなら箱から出るぐらいの気持ちでちょうどいいはずです(箱から出てもずっと入っていた箱のにおいはそう簡単にはとれないので大丈夫です(笑)) 次に、たとえば、世の中に起きるすべてのことを学びとしてとらえる「学びの箱」のように、自分にあった箱,自分が幸せに生きやすい箱を選んで(作って)入ります。 すると自分と異なる考えの人を,なぜこのひとはこういう考えをするのだろう,といったように学びの対象になります(蔑む対象ではなく)。 そのほうが相手との関係性もよくなるし,自分の意見も聞き入れてもらいやすくなるし(相手に変わってもらえる可能性が出てくる)、何よりも自分が不毛な世界で生きなくてもよくなります。 よいことしかありません。 よいことしかないことはする。 誰も幸せにならないことはしない。 そうしてシンプルに生きるひとが増える分だけ,世界はより平和になっていきます。 久しぶりの(震災前はときどきやっていた)真夜中の役に立たない授業終わります。 <参考> ここで出てくる「箱」という概念は僕のオリジナルではなく、以下の本に出てくるものです。 この本は今年読んだ中で一番よかったです。 構造構成主義とも重なるところもありますが(観点相関的という意味で)、学ぶべきものが多くあり,構造構成主義の実用面でのバージョンアップにもつながりました。 できれば争わずに生きたい人にとってマストアイテムですので、関心のある方はぜひ読んでみてください。
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Last updated
2012/12/21 04:31:04 AM
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