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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2013/09/29
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カテゴリ:雑感
「あまちゃん」と「半沢直樹」

この2大巨頭を比べ論じることで、「あまちゃんとは何か」その本質に迫ってみたい。

嫁さんは、「半沢直樹」の最終回をみた後に、「半沢直樹は“怨みハラスメント”で、あまちゃんは“愛情はぐくみメント”かもね」とうまいこと本質観取していた。

たしかにそれも当たっている気がする。



二つとも俯瞰すればコメディドラマだと思うのだが、

僕なりに言い直せば、

「半沢直樹」は“正義と怨みハラスメントを基調とした劇画風コメディドラマ”であり、

「あまちゃん」は、“愛と明るさにより呪いが成仏する愛嬌ドラマ”だ。

「半沢直樹」は父親を殺された仇を討つ、怨みを晴らす“意志”の物語ということもできる。最後は出向になったが、あれだけの公の場で怒りに震える宿敵を這いつくばらせたんだから個人的な怨みは晴らしたといえよう。

そしてあまちゃんに通底しているのは、すべての登場人物に対する“愛”だ。ヘンなひとはたくさん出てくるがすべてのキャラを愛でる視点がある。



「あまちゃん」では、ひどいこといわれても、「うええ」と泣いたり、「なんだこのやろー!」と怒っても、倍返しだとかはいわない。

ただ、怒ったり,悲しんだりする。

家を出て、鈴鹿ひろみの影武者させられたあげく、夏ばっぱに「おめーだれだ、けえってくんな」といわれた天野春子は「もういい!」とひどく傷ついて25年ほど帰ってこなかった。そんなひどいことを言ってしまった夏ばっぱ自身も同じように傷ついていた。

その天野春子に、「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない女の子」といわれて育った天野アキも傷ついていた。

鈴鹿ひろみも,アイドルを夢見て状況してきた天野春子に自分のせいで影武者をさせてしまい,夢を奪ってしまったことを知り傷ついた。それを仕組んだ太巻も傷ついた。

父親が倒れ、母親がいなくなり、あこがれの東京にもいけず、アイドルの道をあきらめたユイちゃんも深く傷ついた。

考えてみれば,ひそかにアキちゃんを慕っていたとおもわれるミズタクも、琥珀を評価されないベンさんも、「あまちゃん」に出てくる登場人物は,たいがいふられたり離婚したりしていて、傷つきながらも笑っていた。

そして東日本大震災が起こり、みんな、深く傷ついた。

それでも誰一人、倍返しだ!とかいわず、哀しみを受け入れながら前を向こうとする。

みんな傷つきながらも、なんとなく天野アキに象徴される“明るさ”が光となって、そうした負の連鎖を“逆回転”させて、みんなの呪いが解け、哀しみが成仏する物語、それが「あまちゃん」なのだ。

鈴鹿ひろみの歌を聴いたときにそう思った。

「三代前からマーメイド、親譲りのマーメイド」

この歌を歌うために、すべてがあって、この歌でこの親子三代の物語は成仏し、完成をみたのだろう。

鈴鹿ひろみの歌は、誰もよりものびやかで透きとおっていて、涙が出てきた。



「あまちゃん」が一元論的な世界観だったのに対して、「半沢」は、敵と味方の二元論的世界観でできている。

もちろん半沢は元々良い人で味方に対しては異様なまでの度量をみせるし、できれば敵なんか作りたくはないのだが、野蛮な世界で生き延びるには、そうもいってられず、断固たる態度で物事に対処するしかなかったのだろう。

「半沢」が流行るのはわかる気がした。あまりにも多くの理不尽がふつうにまかり通っている世の中だ。まっとうなことがまっとうに通じない。いい人には本当に生きにくい世の中になったのだと思う。

「倍返しだ!」という台詞は、この理不尽な世を生きるサラリーマンの鬱憤を晴らしてくれたのだろうし、それですかっと爽快になるのだからエンターテイメントの鏡だ。

そして、「半沢直樹」からリアルに学ぶべきところがあるとしたら、明らかにこっちをなめて増長してくるような人には、断固たる態度を示したほうがよいときもある、ということかもしれない。



しかしながら、やはり「倍返し」は本質的に幸せになる方法ではない。

最終回、半沢直樹は、自分の父を自殺に追い込んだ大和田の不正を暴き、会議の場で土下座させて本懐を遂げるが、その宿敵は取締役に降格で済み、半沢直樹の方が出向させられた。

それについて「なるほどね」と腑に落ちる説明をしてくれるサイトもあって、すっきりしない気分も幾分か収まったのはありがたかったけども、結局の所は、そういうことではなくて、「倍返しを地で行っていたらああなるのが当然」ということを示すためにも、あの結末は妥当なものだと思った。

宮藤官九郎が、「半沢直樹」について聞かれたときに、「恩返しでしたっけ」とおどけて、みうらじゅんが「仏教的に倍返しはよくない」と言ったという記事をみた。

また「半沢直樹の取材で、半沢の生き方について聞かれたときに、半沢役の堺さんも「やられたら微笑み返しですね(笑)」と語っていたが、やはりそのぐらいがいいのだろう(みんな重々わかったうえでみているのだろうけど)。



話がずいぶんそれた。半沢直樹は結論をいえば、ひどくおもしろかった。最終回みながら「これは最高視聴率行くだろうな」と思った。

堺雅人さんの演技も凄かったが、大和田(香川照之さん)は、もはや志村けんを彷彿させるほどだった(笑)。というか「龍馬伝」の弥太郎そのままだった(なぜか音楽も弥太郎のときの音楽が鳴ったような)。あるいは耳までグイッと動かすところなどは、顔面をきめ細かく割って動かす韓流の女優を彷彿させた(例えば「善徳女王」の宿敵ミシル役のコ・ヒョンジョン)。

僕の中では、従来のドラマのラインの中での最高到達点という感じだ。

たしかにエンターテイメントの量的な増加という意味では一位だ。ぜひ続編をみたい。



しかし「あまちゃん」は“質”がまるで違った。

「あまちゃん」はドラマのあり方を変えたと思う。

「半沢」は“みせる”ドラマだ。通常ドラマはそういうものだ。

しかし「あまちゃん」は視聴者に“さんかさせる”ドラマなのだ。

何重にも伏線が張り巡らされており、今日のあのひとはこうだったとか、あそこにあれがあったとか、何度みてもその都度発見がある(たとえば鈴鹿ひろみのコンサートの後ろには、「あまちゃん」の音楽を担当した大友良英さんがいたが録画せずに初見で見つけるのは難しいだろう)。

これほどまでに視聴者が参加できるドラマを僕はみたことがない。

「半沢」はドラマとして外部から楽しんでみるという意味で、超一流のエンターテイメントだ。

他方「あまちゃん」は、ドラマとわかっているのだけども、あたかも実際にそういう愛すべき人達がいて、自分がかかわれるような不思議なドラマなのだ。

だから、「あまちゃん」は録画したものを、2回、3回とみてしまうのだ。

そして驚くべきことに、気がつくとテレビに表示されている「8:11」や「8:14」という表示をみて、「ああ、もう終わってしまう〜」という気持ちになりながらみてしまう何かがあるのだ。

もっとみていたい、というより、もっとそこにいる人達とふれあっていたい、という感じのほうが近いのかもしれない。

だから「あま絵」が流行るのだろう。あれは、もっとふれあっていたいと思い、その技量のあるひとがおもわず描いてしまった、という現象なのだと、思う。

ふれあいたくなるドラマ、それが「あまちゃん」なのだ。



「あまちゃん」は、そこにいる人達とふれあう1分1秒を惜しむような気持ちにさせ、視聴者がいろいろな視点から探し、発見し、解釈し、参加することができる、あらたなドラマの形をみせてくれた。

いろいろな人が口にする「あまちゃんロス」とは、“あの人達に会えなくなる寂しさ”のことなのだ。

東京新聞の社説に「放送終了をこれほど惜しまれたドラマがかつて、あっただろうか」と書いてあったが、本当に、これほど愛されたドラマはかつてなかったと思う。

これほどまでに愛される作品になったのは、クドカンが「視聴率」を目指したのではなく、「東北の、被災地の、仮設住宅で暮らす人達に、毎朝起きるのが愉しみになるようなドラマを作ろう」と心の深いところで決めたからからだろう、と僕は感じている。

本当に奇蹟的な作品になったと思う。

東北の人達の“感じ”をやけにうまくとらえるなと思ったら、宮城県の栗原市出身だったんだね、知らなかったけど妙に納得。

おかげで、僕も毎朝起きるのが愉しみになった。

「クオリティ・オブ・ライフ」なんてものを変えるドラマがあるとは夢にも思わなかった。

それにしても、このドラマのおかげでどれだけ多くの人が明るい気持ちになったことか。

宮藤官九郎さんには感謝の言葉しかない。



「半沢」は野蛮な世界で生きるため、自分を誇りを家族を守るために、覚悟を決め、諦めず、知恵を絞り、あらゆる観点から方法を模索し、問題を打開しようとする。

「あまちゃん」は、あまちゃんな世界といわれようと、震災も不幸も、笑顔で乗り切ろうとする。

その二つの世界観のドラマが、今なぜこれだけ多くの人に響くのか。

それは両方必要な視点ということなのだと思う。

喜劇に悲劇が織り込まれている中で、悲劇を喜劇に変えながら、それでも笑顔で生きていく。

そういう力が僕らには必要なのだろう。



(早稲田大学大学院商学研究科(MBA)専任講師・西條剛央)






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Last updated  2013/09/29 09:39:49 PM
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