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西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2014/02/10
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カテゴリ:政治・経済
なぜ無党派層が負けるのか。

それは、無党派をメタレベルで調整できる人や仕組みがないから。

無党派の人はみんな「自分が出たい」というだけでどんどん出るため、その結果票がばらつき、力をあわせて一点集中突破ができない。

その点、有力党は必要に応じて各党でスクラムを組みトップダウンで1本化して、組織票をかき集め、どんな人であろうとトップに据えてしまう。対抗馬を出させて敵対戦力の力を分散させる作戦だって簡単にできてしまう。

その結果、全体でみれば不支持の人が多いはずの人が当選することになる。こうして「選挙の不合理」が起きる。



戦争で考えてみよう。

人数は同じ規模だったとする。

各自がばらばらに戦っているアメーバ状の組織と、統制がとれているピラミッド型の軍隊型組織のどちらが「拠点」をとれるか。

それは後者に決まっている。

「拠点」をとるという目的を実現するために全体をコントロールし、すべてのエネルギーを集約させることができるのだから。ゆえに基本的に軍隊はそのような編成をする。

そのような編成ができていない時点で、無党派層は相当な追い風が吹かない限り、戦力が分散されるためまず勝てない(アメーバ状の組織の長所は組織というほどの確固たるものもないため攻撃されにくく、自己増殖的に考え方を広めていくことができる点だが「拠点」をとるのに向いていない)。

したがって、無党派層の人達が、党派政治に勝つためには、無党派層の考えをメタレベルで調整し、1点突破できるよう調整する人や仕組みが必要になる。



そもそも各自が「出たいから出る」という次元の戦い方をしている時点で勝てない。脱原発なら脱原発で、大きなところで方向性が一致するなら、それぞれのよい政策を取り入れる形で、有力な人達の間で誰に1本化するか協議するか、それでも決着つかなければ有力者によるジャンケンでもよいから、1本化したほうがよい。

先の神戸市長選は完全にそう。無党派層が元副市長と僅差で争った実績のある樫野孝人さんに1本化していれば、60年続く官僚政治を終わらせることはできた。

都知事選は脱原発で1本化しても票は届かなかったという人もいるかもしれないけども、潜在的に同じ戦力がみこめるならそのエネルギーを集約させたほうが「勝ち目」が出てくるため、さらに票は集まり、圧勝できたのではないかと思う(それがわかっているから小泉さんは細川さんを応援した)。

「我も我も」と自分が出馬することに固執していては、大義を成し遂げることはできない。また投票する側も「自分の政策に最もフィットする人に投票しよう」と思っているうちは大義を成し遂げることはできない。

もっとも民主主義の原則は一般意志を反映させることだから、本来「自分の政策に最もフィットする人に投票しよう」でよいし、むしろ「一部の利権を反映させる組織票や政党政治」のほうが民主主義の原理に反しているのだけど、しかし上述したように、現状においては組織票を武器に1点突破戦略が可能な政党政治を打倒することはできない。

これは「イノベーションのジレンマ」ならず、「改革のジレンマ」という。

明治維新のときもそうだ。薩摩と長州が、ローカルな大義の元で争っていたなら江戸幕府を倒すことはできなかった。坂本龍馬に代表されるように本質的な大義のもとにローカルな大義を調整すべく奔走した人達がいてこそ、新政権を作ることができた。



そういう人が現れるまで、無党派層(たとえば脱原発派)は苦汁をなめ続けることになるだろう。

実際、人数的には原発の恩恵を受けている人より迷惑をこうむっている人の方が多いのだから、今回「なぜこれだけの声があるのに勝てないんだ」と思った人も少なくないと思う。それと同時に蓋を開けてみたら「やっぱりそうか」と感じた人も多いと思う。

なぜか?

それは戦力分散と戦略が統一できない不利さを直観していたからであり、これまでも、それによる敗北を繰り返してきたからだ。

これの真に怖ろしいところは、「だからどんなにがんばってもどうせ勝てないんだ」となるところだ。これを心理学では「学習性無力感」という。

実際、今回の都知事選も投票率が下がっているのは、若者を中心にこの学習性無力感に陥り、「どうせ結果は同じだ」という人が増えているからではないかと推測している。

「選挙にいかない人と付き合ってはダメだ」とか「なぜ選挙にいかないんだ」とか「関心が低いのがいかん」といった正論をいうことも必要かもしれないが、いかない人がいかないことにもちゃんとした理由があると考えたほうがよい。

人間は無駄なことだと思ったら関心を失うのだ。実際、政治に関心を失うには十分すぎる理由があると思う。

他方、既存の政党政治は「やはりこれなら勝てる」とその戦略の有効性に確信を深め、その行動は強化されていく(これを心理学の強化理論では「好子により強化された」という)。

ただでさえ、既得権益を守ろうとする人は積極的に全力で保守しにかかるのに対して、改革派は消極的で中途半端な人が多いため、その傾向はさらに加速されることになる。



しかし、これは単に「方法」がなかっただけで、なければ作ればよいのだから、諦めることはない。

先も触れたように、いま無党派層に必要なのは、誰にもどこにも私的にコミットすることなく、国民を県民を市民を幸せにするという目的に照らして全体を調整できる人や仕組みなのだ。

それこそが今求められる本物の「政治家」であり、本当の意味での一般意志を反映する「政治」なのだと思う。



だれかそういう人達が現れてこないかなあと思って考えてみるとたとえば次のような人が思い浮かぶ(ちなみに僕はどこの党を応援するといった考えをもったことは一度たりともないです。念のため)。

神戸市長選で僅差で敗れたものの、地域政党を立ち上げ、行政の実践コンサルタントとして広島市の業務の1/3にあたる500の事業を請け負うなど、行政のプロとして活躍している樫野孝人さん。

国会での質問回数1位を誇るが、超党派の考えがあったために党をやめさせられて無所属となった衆議委員議員の柿沢未途さん、あるいは、お会いしたことはないけど家入一真さんも既得権益のしがらみから遠く、特定の考えに固執しなそうなので、そうしたポテンシャルを備えているかもしれない。

細川さんとか小泉さんがそのままそういう立場になったらそれはそれですごいと思う。二人で応援するとかね。

僕は基本的に「政治」嫌いなので、こういうことを考えることしかできないけども、これが僕なりの諦めないための「哲学」であり、「希望」です。






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Last updated  2014/02/10 09:45:14 AM
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